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書評『日本の借地』

非常に面白い本でした。

 

以下メモです:

・1948年頃の借地率は70%前後だった。横浜や函館などの新興都市、東京区部のような大名屋敷跡地が借地率が高かった。戦後はどの都市でも下落。

明治10年~45年までの物価の影響を取り除いた平均地価上昇率は9%。1955年~1985年も同程度。

・地租改正で、町地の沽券地上の借地はそのままだったが、武家地の借地が消滅したと思われる。 江戸の借地が東京の借地になったわけではない p87

日清戦争後の明治末になり資本主義的な産業構造が確立すると、三菱や三井は資金を土地取得ではなく鉱工業部門に振り分けた。また、少し土地を処分している。借地借家法制定前には三菱は大量の貸地を処分している。

・東京と大阪では借地借家法の規制にも関わらず、大正と昭和戦前期では、売買地価と地代に収益還元法が妥当だった p125

・1940年の地代統制令は地代の適正標準率を4.2%とした。これは物価維持とともに、貸地貸家の適正利潤も考慮されていた。 p127

・戦後の財産税では地租標準課税率を240%としたが、地代統制額との計算方法が違い、大土地所有地主の租税負担が大きくなり、借地数が減少した。小規模土地所有地主には地租を払えたものもいる。

・権利金は、地価が上昇・地代利回りの継続的下落という状況のなかで、借地という形式で部分的な売買をしていたとみなすことが出来る p165

・継続地代は、公租公課の上昇とともに、やや上昇することはあった。地価との連動は少ない。 p175

・一方で、新規地代は、借地法の「正当事由」を狭く解する判例がありながら、必ずしも高額には設定されなかった p180

・土地需要者の資金調達コストが高かったが借地が多かったことの主な原因だと思われる。地価上昇率や土地保有税は副次的な原因。 p212

・土地取得資金コスト、地価上昇余地の4パターンのうち、

a) 土地取得資金コストが高い、地価上昇しないときは、最初の契約地代は自由競争によって決まる。更新時にも同額の地代になるはずだが、借主が建物を他の土地に移転コストがあるので、貸主は高額の地代を請求できる可能性がある。ここに市場の失敗があり、契約存続保護や地代増額手続き統制が要請される。

b)土地取得資金コストが低い、地価上昇するときは、借主は土地を自ら買えば良い。貸主も地価上昇に伴い、地代を増額する。更新時には、借主はより高い地代や購入代金を払う別の土地需要者と競争になる。このような競争から借主を守りつつ、都市の成長による利益配分もあり、契約存続保護や地代増額手続き統制が要請される。

c)土地取得資金コストが低い、地価上昇しないときは、借主は土地を自ら買えば良い。地代増額も無い。契約更新時に競争者も居ない。借地借家法の保護は必要ない。

d)土地取得資金コストが高い、地価上昇するときは a)とb)

・貸地経営は資金の偏在と都市の成長という条件での「土地の高利貸し」。産業化のために資金を産業投資に誘導したが、住宅部門に資金が流れると、他の高利貸しと同様に貸地経営が成立しなくなった。

 

・イギリスの1980年代の賃借権解放(leasehold enfranchisement)運動。1967年の賃貸借改革法で125万戸の長期借地権が土地所有権に。1993年にも新法

・イギリス、ハワイの事例を見ても借地人が相当数になると、社会経済問題化し、貸地地主の権利を制限する特別立法がなされる。

・登記簿の建物の独立性は大量の借地の結果 p221

・定期借地は大都市圏や地方都市の郊外で大規模土地所有をもたらす可能性がある。

・借家は経営コストが高いため必ずしも大規模土地所有にはならない。

・事業用借地、住居用借地、借家で議論を整理するべき。

 

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