全球観察

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書評『土地の神話』

面白い本でしたが、いろいろな知識が必要で上手く消化出来ませんでした。通勤電車に乗って会社に出勤する都市生活の苦痛がどのようにして何故生まれたのか、少し解像度は上がりました。
当時のイギリスの多種多様な田園都市構想は工場経営者から発案されていたことも多かったのが興味深かったです。日本では頓挫したグリーンベルト構想は韓国では着手されたはずなのですが、韓国は韓国で別の都市生活の苦痛があるのでしょうか。
イギリスのように第三セクター土地開発をするような社会的土壌はどうしたら生まれるのか、私鉄の利益追求の延長としての土地開発で良いのか、考えてみたいと思います。

 

メモ帳:

・江戸期に3000万人程度の人口だったが、明治末期には6000万人に。東京の人口も100万人から300万人に。明治末期の東京のスラム化は『最暗黒の東京』にも描写されている。

田園都市会社は分譲を前提。イギリスのレッチワースは賃貸が多い(p344)。紆余曲折を得て、賃貸収益は第三セクターであるLetchworth Garden City Heritage Foundationが管理している。賃貸で得た収益は、ボーンビルトラストのように、コミュニティに還元(p340)。
・なお、レッチワースと同時期に生まれたウェリン・ガーデンシティーニュータウン法の適用を受け入れ、国家開発の対象になった。
・当時、イギリスの「田園都市」に関する情報は、内務省の報徳運動の文脈で理解された(p387)。

田園調布駅の道路網はサンフランシスコのセントフランシスウッドからの影響が強い。
・郊外化は1923年の関東大震災だけでなく、第一次大戦後の日本経済の成長と郊外工場の増加が背景(p28,p33)

田園都市会社は1921年までに45万坪の土地を確保。1922年に洗足で6万坪の分譲開始。畑弥右衛門が土地買収に貢献(p402)。同時期に、小林一三率いる箕面有馬電気軌道は31万坪の土地を確保し分譲開始していた(p37)。
1924年頃の復興国疑獄事件を契機に、鉄道省出身の五島慶太田園都市会社内で頭角を表し、郊外住宅開発よりも鉄道網構築が優先されていく(p148)。このときに田園都市会社が得た利益は武蔵電鉄買収資金になった(p122)。
・不透明な復興予算は橋梁に使われた?(p164) 橋の設置は都市計画法の認可が要らなかったので、道路よりも橋を先に建設した?

・渋谷駅も、川や暗渠がありビル建設の認可が降りにくかった。まずは宮益橋拡張し、その後、橋をバスターミナルにする許可、バスターミナルに屋根設置許可、屋根の上に売店許可等々既成事実の積み上げで開発され、東急百貨店東横店東館が出来た(p189)。

1924年東京横浜電鉄が設立。新丸子で2.1万坪、日吉台で18.7万坪の土地を買収。1926年に丸子多摩川~神奈川の区間開通。日吉台で2万坪を分譲したが、売れ行きが悪かったので、慶応大学誘致構想に着手(p154)