工業製品としての「住宅」がどのように生まれ発展したのかを面白く紹介しつつ、「住宅」の価値は工業製品としての価値ではなくそこでどのような「生活」があるかなのではないか、そんなことを考えさせてくれるような本でした。
それにしても、住宅はどうしたらもっと安くなり、メンテも簡単になるのでしょうか。
1 住宅の通信販売
・住宅通信販売は1940年までに25万戸供給
・シアーズの住宅通信販売に見られる、メディアによる消費喚起・資材の大量生産・カスタマーサポート体制
2 元祖「秋葉原感覚」住宅
・石山修武の「秋葉原感覚で住宅を考える」
・戦後のcase study house の代表作であるイームズ邸に見られる既製品の組合せで住宅を作る"off the shelf items"
・1967年の剣持昤の「秦邸」
・アメリカのプラットフォーム構法と材工一式ではない見積もり
3 走る不動産
・移動式住居としての「パオ」
・戦後の日本にも「トロッコ式」住居
・アメリカでのmobile homeの発展。1972年には57万戸出荷。新規戸建ての30~40%を占めることも。価格は普通の戸建ての半分以下。住宅ローンの適用。
・移動しないmobile home。ロサンゼルスのmobile home park
4 箱でできた家
・1972年の中銀カプセルタワー
・ユニット工法を用いた「セキスイハイムm1」
・量産された無目的な箱に於けるデザインの余白を生かして今も住む人たち。
5 空輸できるハイテク住宅
・「ダイマキシオン・ハウス」
6 グロピウスの夢
・グロピウスのトロッケン・モンタージュ・バウ
7 コルビュジエの夢
・1914年の「建築は採光された床」。在来構法への憧れの喚起。
8 プルーヴェの夢
・1950年のジャン・プルーヴェ のムードンの住宅 。プレハブ住宅なのに何か住環境の質感が違うのはなぜか?
9 住宅産業という夢
・積水ハウスがモンサントの技術を使い作った「プラスチックハウス」
・1962年に大和ハウスの「羽曳野ネオポリス」「千里ニュータウン内のプレハブ住宅団地」。住宅金融公庫の「不燃住宅組立構造認定制度」。
・当時のプレハブ住宅は起業家と建築家の夢の結晶だった。プレハブ産業の成立。
10 居住者参加という夢
・ニコラス・ジョン・ハブラーケンはロビンソンクルーソーのように住宅を住人が築けるようにしたかった。
・当初はサポート、インフィルという2つのレベルを想定したが、オランダではティッシュという街の都市計画にも関与できるようなレベルが生まれつつある
11 七千ドルのアメリカン・ドリーム
・戦後、それまで600人しか住んでいなかったニューヨーク郊外に、1.7万戸/6万人のレヴィットタウン
・戦災は無かったアメリカの戦時中の住宅建設停滞と大量の帰還兵による住宅難
・当時低価格住宅は1万ドルとされていたが、6990ドルで供給
・作業工程を27に細分化し、単純化・効率化。
・竣工時は「インスタントな町」「低級で画一的な環境」と批判されるが、居住者の増改築で多様な街並みに。
・居住者の増改築をサポートする当初計画の余白や産業
12 百万円の家
・1969年のミサワホームの「ホームコア」。平均月収5万円の時代に100万円の家。プレハブ住宅がようやく安くなる。商品化住宅の先駆け?
13 標準化されたマンション
・1973年の長谷工のcombusシステム
・大量供給された標準化マンションには今もたくさんの人が住んでいる
14 コピーライターの住宅
・1977年のミサワホームの0型 は企画型商品の先駆け
・旭化成の息子夫婦・娘夫婦向け二世帯住宅シリーズとしての"duo""duet"
15 農村ブランド住宅
・「入母屋御殿」の昔ながら的イメージは戦後に作られたもの? 全国に普及。
・プレハブ住宅会社の「入母屋御殿」での失敗
・「入母屋御殿」は地元密着型工務店。だが工務店は独自に作業を合理化している。
16 万代塀でできた家
・田辺平学
17 不燃化を形にした住宅
18 フルシチョフの標準化住宅
・戦後、フランスのCSTBが「カミュ構法」や「コワネ構法」などを提案
・1961年にソビエトで大型パネルを大量に製造するコンビナートが稼働。標準設計。日本からも視察団。
・1966年に日本の住宅公団の「量産住宅の長期構想 」
・1970年代には大型パネル構法による中層集合住宅の標準設計であるSPHが制定される
19 在来構法の巨大な世界
・新設住宅着工の3~4割は在来構法
・在来構法でのプレカット材の普及。在来木造住宅の均一化? どうすればもっと多様な個性が発揮できるようになる?
20 そして名もなき住宅たち
・意外に初期プレハブ住宅は生きており、日本の住宅の風景も多層