ある種の被害者意識も垣間見れますが、日本海側エリアから見た近代現代日本史として興味深かったです。日本が何故東京一極集中的な発展をしてしまったのか、考えるキッカケとなりました。
新潟港は江戸時代の開港五港の一つでもありましたが、外航船が入港出来ず、近代港として運用を開始したのは1926年になってからだったようです。
大川津分水は享保年間(1716~1735)から構想があったそうですが、こちらも竣工したのが1922年とかなり時間が掛かりました。関屋分水路の竣工が1972年までもつれたのもびっくりします。
中央政府に頼らずとも地元の総力で重要な社会インフラを完成させるということは可能だったのでしょうか。大竹貫一や岡村貢 の有力者は居たようですが。
富山の大久保水力発電所は1899年(明治32年)に竣工しており比較的電気代が安い地域として工場が集積したようですが、そこからイノベーションのようなものは起きず、首都圏との経済的な従属関係みたいなものが形成されたのも不思議な気がしました。富山の製薬会社はその例外でしょうか。
新潟・富山などは明治の頃から「公害問題」があったのにも関わらず適切に対処されなかったのも興味深いです。戦後の四大公害病のうち2つはこの地域からのものでした。
明治初期の払い下げ工場 で次の産業展開につながった地域と発展が無かった地域の違いは何なのでしょうか。p103では「近代化のエートス」が欠如しているのではという指摘を紹介しつつ、その所与の前提となる「情報」が無かった、と著書は主張しますが、どうなのでしょうか。
裏日本が表日本になる手段としての「北海道」「満州」という観点も興味深かったです。共働きが1970年頃には一般的であったというのも日本の家族のあり方は地域ごとに全然違うことを再認識しました(p100)。
環日本海経済圏や巻町の原発を阻止した住民運動のような中央政府依存脱却の流れは今後どうなるでしょうか。