全球観察

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書評『昭和の東京郊外 住宅開発秘史』

今の日本の住宅地が何故こういう風になっているのか、少し分かるような本でした。

 

住宅広告に関してはヨーロッパの住宅広告という本を読んで以来独特の面白さを感じてはいますが、本書にたくさん挿入されている昭和30年代の住宅広告の雑さを見るとびっくりするというかなんとも言えない気持ちになりました。
それにしても何でこんなに小規模な民間の住宅分譲開発会社が活躍できたのでしょうか(P38)。シリコンバレーを開発したアメリカのドナルド・ブレン氏のIrvine Companyみたいに億万長者のような方が生まれなかったのも興味深いです。戦前だと国立市を開発した西武グループ創業者の堤康次郎氏のような方がいたと思うのですが、戦後に宅地分譲開発された郊外地域の「雑さ」の背景のようなものも感じます。
P41では「住宅難」を大まかな背景として指摘していますが、そもそも日本のベビーブームの時期は何故戦後すぐなのか、不思議です(戦争直後の危機的な状況下で子供をわざわざ作って更に状況を自ら難しくするのは何故なのか)。ドイツ、イタリアを含む他国のベビーブームは少し後だったと思うので。。。

 

住宅営団に関する章も興味深かったです。この本では「軍都」として発展した相模原 などが紹介されていますが、軍事関係の工場で働く労働者用に住宅を大量供給する発想はもう少し詳しく知りたい気もしました。軍人に対しては住宅は供給されていたのでしょうか。アメリカのva住宅ローンもうそうですが、各国の住宅政策に於ける軍の影響というのは面白そうなテーマな気がします。
なお、この章では昔は庭付き戸建てがデフォルトであったことが記載されていますが、確かに今と比べて1960年代までに建てられた戸建ての方が敷地面積が広そうです。また、そうした広い敷地面積を持っていた住宅の多くが今では敷地分割されてしまっていることが印象的です。
下記画像は「神奈川県相模原市中央区星が丘2丁目11」辺りの今昔マップ(「写真1961-64」(左側)と「地理院最新写真」(右側))ですが、右側の赤く囲った部分は当時の住宅サイズ感を今も残している住宅で、その下の紫で囲った部分は当時だと5戸ぐらいしかなかったのに今だと10戸以上ありそうです。なお、赤く囲った部分のちょうど真上にある2つの駐車場(1960年代だと住宅が2戸あった)をグーグルストリートビューで見たら非常に大きかったです 笑

もちろん赤で囲った部分(おそらく住宅営団住宅)と紫で囲った部分(おそらく県営住宅)では住宅のサイズが違いますが、住生活が継承されないこと・増改築したりするなどの可変性や柔軟性が失われていることを感じます。その背景の一つにはやはり相続税がある気がします。


このエリアは野坂相如氏(野坂昭如氏の父)が戦前に都市計画を立案したそうです。上記の堤康次郎氏が戦前に宅地開発した国立・小平・大泉学園・軽井沢・目白文化村などもそうですが、同じ街のなかでも案外戦前に計画的に作られたエリアの方が住みやすそうな気もします(道が直線、道が広い、街路樹が多い、多層的な商圏etc)。

 

紹介されている14箇所のうち10箇所は何回か行ったことある街でしたが、このような歴史を知り何か新しい街の魅力を発見した感覚はないかもですね。
大宮の「埼玉県立歴史と民俗の博物館」があるエリア、検見川の「東大検見川総合運動場」があるエリアなどは訪れたときに独特の魅力を感じましたが、少しその理由がわかった気がするぐらいでしょうか。第七章でスプロール開発の事例として紹介されている多摩美の近くでは、つい最近でも里山を壊して区画整理・宅地分譲しており、まさに「原風景は一瞬で失われた」気がしましたがどうでしょうか。

いずれにせよ、これらの街に住んでいる人は、この本を読んで新しい魅力を感じるものなのでしょうか。昭和30年頃の人がフリーダムに無秩序に行なった住宅に関する選択は結局は街の歴史を積み重ねるよりも負債を積み重ねただけなのかもしれません。