全球観察

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書評「平成金融史」

思ったよりも知らない金融機関が多く出てきてビックリしました(それだけたくさんの金融機関がこの期間に潰れたか統合されたということです)。

比較的知っていた1997年~2019年までの山一破綻、大蔵省接待汚職事件、長銀破綻、竹中プラン、リーマンショックアベノミクス、質的量的金融緩和、マイナス金利などについては一連の流れを再確認する良い機会となりました。

こうやって振り返ると、やはり「地価下落」→「銀行の不良債権増加」→「銀行の貸し剥がし」→「企業活動の停滞」→「地価下落」のような悪循環を止めるのに非常に時間が掛かっていたことを改めて実感します。「不良債権処理」に色々なリソースが投入されていたわりに、根本の「地価上昇」にほとんどリソースが投入されていないように見えるのも不思議です。P231で日本が2005年頃にこの悪循環を脱したのは新興国経済の発展という点があると指摘されているように、自力では経済回復は難しかったように思います(新興国経済の発展の恩恵を受けられるように環境整備をしていた面はあると思います)。
そういう意味で、1992年頃の段階で「公的資金注入」を宮沢喜一氏が主張していたの驚かされます(P29)。
結局、2008年リーマン危機のときのアメリカ政府のように、ゲームを一度リセットして、新しいゲームを始めるしかなかったのでしょう。
新しいゲームのルールの制定をする権力を行政は持っていましたが、自分たちの省庁内部の力学がその権力を動かしていました。新しいルールは作られず、手段と目的が逆になったかのように、「不良債権処理」が絶対的なゲームになりました。
とはいえ、総会屋に資金援助したり、良くわからない企業に対する不正融資を積み重ねてきた金融機関を税金を使って救済するのは感情的には難しかったと思います。更には、行政も大蔵省接待汚職事件に見られるようなだらしなさもありました。

基本的な倫理観を欠如している人たちが経済活動の中心に居ると何が起こるのか、そのことをこの平成の金融史は示唆していると感じました。