日本企業のガバナンスはここまで凄くなった、みたいな本でしたが、細部にダサい感じが漂っているような本でした。
指名委員会等設置会社のLIXILのCEOだった瀬戸氏は、指名委員会でCEOの退任を求められたとの電話を創業家・旧CEOの潮田氏からもらい、取締役会でCEOを辞任しますが、実は指名委員会でCEOの退任を求めた事実はなかった?、というようなところから「言った言わない」レベルの議論が続きます。。。
このような低次元の議論とはいえ、手続き的正義のあり方を追求していく過程などは少し面白かったです。株主による臨時総会の招集の仕方、機関投資家と信託銀行の契約、プロキシーファイトでの機関投資家との面会、等々知らないことも多かったです。
ただ、よくよく見ると指名委員会が無能過ぎるというより害なのでは、という気がしました。特に、「外国人」「女性」のバーバラ氏は「勝ち馬に乗る」が意思決定の原則のようであり(p249,p299,p338)、LIXILのことどれくらい考えているの?と思いましたが、本書の記載漏れであることを祈りたいです。また、指名委員同士のコミニュケーションもあまり取れていなかったようです。2013年にマイクロソフトの新CEOを決めるための特別委員会の議論とは多分ですが、全然違いそうです。
気になったのは、機関投資家が取締役になった方が早いのでは、というところでしょうか。「社外」の取締役は果たして株主なりその他ステークホルダーの利益をどこまで代表できるのでしょうか。多くの機関投資家は色々なところに投資するわりにあまりそれぞれの会社に興味ないんですかね。両サイドの取締役候補に取引先銀行の方はいましたが(p292)。。。
LIXILの将来をどうするか、インテリア産業は今後こうなる、リフォーム業界にどう食い込めるか、とかの議論よりは「手続きがどうあるべきか」みたいなところが重視されており、たくさんの「社外」取締役を揃えてビジネスとしての付加価値がどう出るのか良く分からなかったです。取締役による「監督」という言葉において、「不正防止」「コンプライアンス遵守」のニュアンスが強すぎる印象でした。もちろん、「意思決定のクオリティー」を担保するのが手続き的正義なのでしょうが、どこか違和感がありました。savelixil.comというサイトもアーカイブで見てみましたが、印象は変わらず。
騒動の発端となったイタリアの会社も赤字垂れ流しとはいえ有名で面白い案件が多かったので、LIXILというブランドを周知していく上ではもっと違うやり方があったかもしれないのでは、と思いましたが「社外」取締役がたくさんいることで多様な観点からの議論があったのでしょうか。
ところで、スターバックス社のハワード・シュルツは前CEOを解任したのちCEOに復帰しましたが、もし潮田氏がハワード・シュルツ並みに有能だったらどうなっていたんですかね。
この本に出てくる方々が教科書的なコーポレート・ガバナンスのカタチばかり気にするのは、マニュアルを気にするアルバイト君みたいな印象を持ってしまいました。
このようなゴタゴタをもたらした指名委員会の社外取締役に対する株主代表訴訟があったら面白かったと思います。