全球観察

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書評『ふたつの西武』

淋しきカリスマ堤義明」と内容が結構被りましたが、西洋環境開発がマンション開発で住民訴訟を抱えていたなど知らないことがいくつかありました。

プリンスホテルやスキー場はアジア圏(特に雪が降らないエリア)の観光客に結構人気だと思います。
ただ、義明氏はそうした海外顧客へのリーチが全く出来ていなかった気がします。北海道の中国系観光客ブームは映画が作った事例とか見ると、清二氏が得意の文化プリンスホテルがあるエリアを舞台にした映画とかをいくつかヒットさせたりしておけば、また状況は変わっていたのかなとか思いました。

 

堤康次郎氏の死後

・義明氏は10年間は何もしないぐらいの姿勢。清二氏は積極的な拡大策。

・1965年に西武百貨店が運営していた東京プリンスホテル西武鉄道に譲渡。翌年に八ヶ岳の既存分譲地・土地・山林などの80%を西武鉄道に9.75億円で売却。西武百貨店の財務健全化。

・1971年頃、義明氏が管轄する事業の売上高は600億円程度(保有資産は1兆円程度?)。対して、清二氏の事業は売上高は3000億円に達していた。

・清二氏の銀行借入れは、コクドや西武鉄道の土地資産が債務保証。清二氏の拡大策が、義明氏に悪影響していくことが懸念される。1971年で西武百貨店西友で500億円の銀行借入れ。

分裂

・1972年にふたつの西武に分裂。関西方面に土地を多く持つ西武化学が土地を持たない清二氏傘下に。西武鉄道やコクドの西武百貨店保有率を下げて、西友化学や西友ストアーが大株主に(p81)。国立学園が保有するコクド株(23万株)を堤義明氏に譲渡(「西武事件」p290)。

・1976年 西武都市開発が経営危機に。700億円の有利子負債。コクドは債務保証はしないが、人材を派遣。銀行から金利減免などの救済措置実施。

・1977年頃からプリンスホテルの開業が増える(プリンスホテルの年表: 

http://web2.nazca.co.jp/dfg236rt/page013.html )

・1985年 プリンスホテルが独自の「プリンスチケット」発行、プリンスホテル西武百貨店商品券が使えなくなる。同じく、「プリンスカード」発行で「セゾンカード」が使えなくなる。
・1986年 清二氏が西武鉄道の役員を退任。この頃から「セゾン」を使うような名称変更が増える。

・1991年 清二氏が「引退」。

一つの西武へのゆるやかな流れ?

西武百貨店軽井沢店をコクドに売却(今の「ドーミー倶楽部軽井沢」?)。西武百貨店の本社が西武鉄道のビルに移転(p246)。

・2004年 西武鉄道西武百貨店保有するミレニアムリテイリングマイノリティー出資
・2022年 池袋西武がヨドバシ傘下になったことに対して、西武HD会長は「早期に協議の場を

 

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