バフェット氏のこれまでの取引に関する本を2つ読みました。これほど各取引の詳細が公開されていて、かつ会計士の署名もある場合も多いのが凄いです。バフェット氏が何を考えたのか、だけは想像になってしまいますが、これだけ事実が積み重なると想像するのも楽しいです。
以下、a=最初の1億ドル、b=バフェットの重要投資案件、c=追加調査
- クリーブランド・ワーステッド・ミルズ( Cleveland Worsted Mills) a
- 1954年 ロックウッド・アンド・カンパニー(rockwood&co) a
- 1958年 サンボーン・マップ・カンパニー(sanborn map company) a,b
- 1956年 デンプスター・ミル・マニュファクチャリング・カンパニー(Dempster Mill) a,b
- 1964年 テキサス・ナショナル石油 b
- 1964年 アメリカン・エキスプレス a,b,c
- 1962年 バークシャー・ハサウェイ a,b
- 1966年 ディズニー a,c
- 1967年 ナショナル・インデムニティ(national indemnity) a,b
- 1966年 ホクスチャイルド (hockschild-kohn) a
- 1967年 アソシエイテッド・コットン・ショップス (associated cotton shops) a
- 1968年 ブルーチップス (blue chips stamps) a
- 1969年 イリノイ・ナショナル・バンク・アンド・トラスト (illinois national bank and trust) a
- 1969年 オマハ・サン(Omaha sun newspapers) a
- 1972年 シーズキャンディー (see's candy) a,b,c
- 1973年 ワシントン・ポスト a,b,c
- 1974年 Wesco Financial a
- 1976年 GEICO b,c
- 1977年 バッファロー・ニュース b
- 1983年 ネブラスカファニチャーマート b
- 1985年キャピタルシティ/abc b
- 1987年 ソロモン株 b
- 1988年 コカ・コーラ b,c
- 1989年 USエアー b
- 1990年 ウェルズファーゴ b
- 1998年 ジェネラルリ b
- 1999年 ミッドアメリカン b
- 2007~2009年 BHS b
- 2011年 IBM b
- 他にも知りたかった取引
クリーブランド・ワーステッド・ミルズ( Cleveland Worsted Mills) a
正味流動資産に対して株価が非常に安かった。バリュー投資。この頃ガソリンスタンドも買収。
1954年 ロックウッド・アンド・カンパニー(rockwood&co) a
- 利益: 1万3000ドル
カカオ豆のarbitrage的な投機?
1958年 サンボーン・マップ・カンパニー(sanborn map company) a,b
- 取得価格:1株45ドル
- 取得総額: 数百万ドル
- 取得割合: 22.8%
- 売却: 他の株式と交換 (1960年)
- 利益: 50%
損害保険用の地図会社。売上減少傾向だったが、保有有価証券を考えると割安だった。圧力を掛けて、1960年にサンボーン保有有価証券とサンボーン株の交換を実現。村上ファンド的?地図ビジネスは今も発展中。
1956年 デンプスター・ミル・マニュファクチャリング・カンパニー(Dempster Mill) a,b
- 取得価格:1株28ドル
- 取得総額: 100万ドル
- 取得割合: 70%
- 売却: 1株80ドル (1963年)
- 利益: 230万ドル
コミット: 1961年にはBPLの運用資産の21%を占める。
風車と灌漑システムの会社。売上は低迷、利益は0付近。倒産間近。大胆なリストラや在庫の払拭やその他コストカットで立て直し。敵対的買収に嫌気。
1964年 テキサス・ナショナル石油 b
1964年 アメリカン・エキスプレス a,b,c
- 取得価格:1株71ドル
- 取得総額: 1300万ドル
- PER: 8倍程度?
- 取得割合: 5%
- 売却: 1株180ドル (1967年)
- 利益: 2000万ドル
- コミット: 1965年にはBPLの運用資産の30%を占める。最終的には40%程度?
1963年のサラダ油事件 で株価低迷。バフェットは独自調査でトラベラーズチェックのブランドに問題が無いことを確認、クレジットカードビジネスも萌芽していた。1963年にはクレジットカードの会員数が100万人を越えた。これまでの簿価を基準にした投資とは違いフランチャイズやブランドに着目した投資。BPLの高いリターンの大半を占めた。
1964年のannual reportより
1962年 バークシャー・ハサウェイ a,b
- 取得価格:1株14.86ドル
- 株数: 当初は7%程度
- PBR: 0.6倍程度
- コミット: 1965年に経営権獲得。今も保有継続中。
繊維という衰退産業。一株あたり純資産は20ドル前後だったが、自社株買いに応じることで利益が出る可能性があり購入。1965年頃、自社株買いの価格をごまかされたことで逆に株式を買い増しし経営権まで獲得、今に至る。。。
経営権獲得後は繊維産業は継続し2年間は黒字を確保。CEOのKen Chace氏には1000株の自社株買いのために、バフェット氏が1.8万ドルの融資。
1985年に繊維産業から撤退。
1966年 ディズニー a,c
- 取得総額: 400万ドル
- 株数: 5%
- 売却総額: 620万ドル (1967年)
- 利益: 220万ドル
1966年頃ディズニーはPERが10未満。「メリー・ポピンズ」などの無形資産を重視。1966年にWalt Disneyは死去。翌年全株売却。利益は出したが、ディズニー株の上昇を考えるとバフェットの投資失敗の1つとなった。1990年代にも企業合併の結果としてディズニー株を保有するがそのときも売却。1984年にアイズナー氏がCEO就任する前とか業績は中途半端だったようだし、そういう組織病的なのを嫌った?
1967年 ナショナル・インデムニティ(national indemnity) a,b
- 当時の市場価格: 一株33ドル
- 取得価格: 一株50ドル
- 取得総額: 860万ドル
- コミット: 今も保有継続中。
BPLへの投資を断ったオハマの経営者であるjack ringwalt氏が59歳で引退?をするタイミングでnational indemnityを売却相談を持ちかけたときに即決。バークシャー傘下になってからも、jack ringwalt氏は6年以上もCEOとして職務を果たす。市場シェアは大きくは無かったが、従業員を減らさないことを明確にし無理な契約獲得インセンティブを排除し、利益を重視した経営をしていたら、楽観的な見通しで無理な契約をしていた他社が自然消滅した。BPLではなくてバークシャーでこの会社を買ってしまったことを失敗だとバフェット氏は2014年の手紙で反省した。
一九六七年のナショナル・インデムニティは、保険料収入が一六八〇万ドルで、純利益が一六〇万ドルだった。それが、バークシャーの子会社になって一年目の一九六八年には、保険料収入が二〇〇〇万ドル、純利益が二二〇万ドルに増えた
『バフェットの重要投資案件20 』
1966年 ホクスチャイルド (hockschild-kohn) a
- 取得総額: 480万ドル
- 取得割合: 80%
- 売却総額: 400万ドル (1969年)
- 損失: -80万ドル
バフェット氏の小売ビジネスの原体験。経営難にあった百貨店だったが、保有不動産と棚卸資産の低評価に着目して購入。
1967年の手紙では、皮肉にもホクスチャイルドに満足でバークシャーに不満だった。
ボルチモアの4つの百貨店の競争もありsupermarket generalに売却。小売の難しさ、
常に競争にさらされるビジネスの難しさ、組織の変革の難しさ、定性的な価値の重要性、などが教訓になった?
1967年 アソシエイテッド・コットン・ショップス (associated cotton shops) a
- 取得総額: 600万ドル?
- 取得割合: 80%
- 売却総額: 1970年代にバークシャーと合併
婦人服チェーン。引退を考えていた経営者のbenjamin rosner氏に相談を持ちかけられ買収。ただ、benjamin rosner氏はその後20年以上も経営に携わる。
1968年 ブルーチップス (blue chips stamps) a
- 取得総額: 300~400万ドル?
- 株数: 当初は7.5%
- コミット: 今も保有継続中。
「ウォーレン・バフェットはこうして最初の1億ドルを稼いだ」より
ブルーチップス時代の株主の手紙
https://www.valorintrinseco.com/blue-chip-stamps%20annual%20letters.pdf
https://maxolson.gitbooks.io/blue-chip-stamps/content/
1969年 イリノイ・ナショナル・バンク・アンド・トラスト (illinois national bank and trust) a
- 取得総額: 1550万ドル?
- 取得時PER: 7倍程度
- 株数: 97.7%
- 売却総額: 1750万ドル (1980年)
- 利益: 200万円+年間配当計3000万ドル以上
卓越した経営者であるEugene Abegg氏の元で高い利益率を誇る銀行ビジネス。氏が71歳の頃に引き続き経営に携わってもらうことを条件に買収。珍しいことに銀行借り入れ(1000万ドル)もした。なお、取得総額は簿価よりも安かった可能性がある。1978年に銀行法改正により売却を強いられる。
1969年 オマハ・サン(Omaha sun newspapers) a
- 取得総額: 125万ドル
- 取得時PER:12.5
- 株数: 全株式
- 売却総額: 125万ドル未満? (1980年)
- 損失: 多少の金銭的な損はあったが、名声や新聞業の経験
妻経由で、CEOのリプシー氏より売却を持ちかけられた。1980年に売却、1983年に新しいオーナーの元で廃刊。ライバルのomaha heraldが地域独占。2011年にはバークシャーはomaha heraldを買収。 2020年に売却。
1972年 シーズキャンディー (see's candy) a,b,c
- 取得総額: 25万ドル?
- 取得時PER: 7倍ぐらい?
- 株数: 全株式
- コミット: 今も保有継続中
1969年にローレンス・シー氏が亡くなったときに、弟のハリー氏は離婚もあり?売却。aもbも2500万ドルで売却とあるが、上場していた株のうちの67%であるハリー氏保有分を2500万ドルで取得し、残りの33%を1000万ドル程度で取得し、計3500万ドル程度であるようだ(当時のmoody's記事、当時の新聞記事)。net tangible assetが800万ドルであったそうだが、株主資本は1971年の段階で1500万ドルあった。
1973年のブルーチップス社の手紙
買収前に副社長だったハギンス氏は以後54年間経営に携わりCEOとしても33年務めた。また、買収後の1974-1984年のCAGRは12.7%と買収前の9%程度を越えていたが、
それ以上に営業利益の伸びが凄い。それは販売個数の伸びがそこまででないことから、インフレ率以上に価格改定が出来た結果。
なお、Hersheyに同程度の資金を投入していたほうが利益はあった可能性はある。日本のディズニーランドにも進出予定だったが、トラブルがあったようだ(不動産を保有していた日本の女性をバフェットがビンタした?)。
https://chocolateshops.sees.com/
1973年 ワシントン・ポスト a,b,c
- 取得総額: 1060万ドル
- 取得時PER: 10程度?
- 株数: 9.7%
- 利益: 数億ドル
nifty fiftyの1970年代。1974年にはスタグフレーションなど大幅な景気後退で株価下落するが、1973年にシニア債で2000万ドルを調達、過去の負債900万ドルを返済しつつ、残りの資金でワシントン・ポストの株を取得。時価総額は400億ドル程度が適切であると思われたが、100億ドルの時価総額で9.7%を取得できた。
1972年のウォーターゲート事件によりホワイトハウスから敵視されていたため、傘下のフロリダの放送局の免許更新が難しいという観測もあった。ストライキも多かった。
ただ、Washington Daily News が発行を停止するなどワシントンにある主要紙が2つになり、新聞広告市場の63%、成人の60%が購読など地域独占的な状況になりつつあった。Newsweekの成長も著しかった。テレビ局、ラジオ局も地域独占体制に入っていた。
1974年のannual reportより
取得したのはほとんど議決権のないクラスB株だったが、1974年には取締役に選任。株価は1976年頃までずっと低迷していた。
2013年8月にワシントン・ポスト社はワシントン・ポスト紙をベゾス氏が2.5億ドルで買収。ワシントン・ポスト社はグラハムホールディングスに名称変更。2014年7月にグラハム社が保有するテレビ局WPLGとバークシャー株と現金とバークシャーが保有するグラハム社の株の交換取引を行い、バークシャーとグラハム社の株式持ち合い関係は終了した。
1974年 Wesco Financial a
- 取得総額: 3000万ドル
- 株数: 当初は64%
- 利益: 20億ドル以上
- コミット: 今も保有継続中
貯蓄貸付組合 。短期変動金利の預金と長期固定金利の住宅ローンの貸出ビジネスのALMリスクを当初から指摘。1980年代のインフレや1986年から始まるS&L危機 を回避。保有していたfannie mae株の2000年頃の売却で8億ドル以上の利益。その他、保険やモノラインや家具貸し出しなどを行う。2011年に完全子会社化。
1976年 GEICO b,c
- 取得価格: 3ドル程度?
- コミット: 今も保有継続中
1981年には、バークシャーの純資産の半分以上をガイコの利益が占めるようになっていた。1995年に残りの50%を23億ドルで購入して完全子会社化。
1977年 バッファロー・ニュース b
- 取得総額: 3250万ドル
- 取得時PER: 2倍程度?
- 取得時PBR: 0.5倍程度
1982年に競合のバッファロー・クーリエエクスプレスは廃刊した。約10年後の1986年には3500万ドルの税引き前利益。
1983年 ネブラスカファニチャーマート b
- 取得総額: 5500万ドル
- 取得割合: 80%
- 取得時PER:8倍程度
- 取得時PBR: 0.8倍程度
ブラムキンはのちのインタビューで、1983年の店舗運営費はわずか700万ドルだったと明かしている。つまり、一般管理費が1億ドルの収益のわずか7%という驚くべき低さだったのである
二〇万平方フィート(一万八六〇〇平方メートル)近い売り場で一億ドルを売り上げるということは、一平方フィート(約九三〇平方センチメートル)当たり五〇〇ドルを売り上げていることになる。そして、この数字も軽くウォルマートを超えている。ウォルマートは、一九八三年の売り上げが三三億七〇〇〇万ドル、売り場面積は五五〇店舗合わせて二五八二万五〇〇〇平方フィートなので(ウォルマート・ストアーズ・インク一九八三年年次報告書、一平方フィート当たりの売り上げは、一九八三年初めの二三九二万一〇〇〇平方フィートと年末の二七七二万八〇〇〇平方フィートの平均値で計算した)、一平方フィート当たりの売り上げはわずか一三〇ドルなので
『バフェットの重要投資案件20 』
1985年キャピタルシティ/abc b
- 取得総額: 5.17億ドル
- 取得価格: 一株172.5ドル
- 取得割合: 18%
- PER:10程度
一九八四年のキャピタル・シティーズの株価が一二三・五~一七四・五ドルで推移していたなかで、バフェットが支払った価格は五二週平均の高値近くだったのである
『バフェットの重要投資案件20 』
BUFFETT'S LOW-KEY ROLE IN HIGH-STAKES DEAL - The New York Times
Capital Cities Communications To Buy ABC for $3.5 Billion - The Washington Post
1987年 ソロモン株 b
- 取得総額: 7億ドル
- 取得割合: 12%
1988年 コカ・コーラ b,c
- 取得総額: 1300万ドル
- PER: 13倍程度
- 利益: 100億ドル以上
1987年の値上げ幅は平均4%だったと推測される。値上げをしたうえに販売個数も増やすことが出来た。外国のコークの消費量は、アメリカと比べて格段に少なく、将来相当な成長が見込めることは簡単に予想できた。コークの絶対消費量が少ない国(スペイン、日本、ブラジル、中国など)の多くで二桁の増加を見せていた。
1988年のコカ・コーラ社のannual reportより(1987年のコカ・コーラ社のannual report)
1988年のバークシャーの保険部門のannnual reportを見ると、600万ドルのコーラ保有は3000万ドルの株主資本で充分まかなえていた。保険のフロート1400万ドルはほぼほぼ債券や優先株に割り当てられていたように見える。
1989年にはコカ・コーラが株式の49%を保有していた映画会社コロンビア・ピクチャーズ はソニーに総額34億ドルの現金で売却された。
1989年 USエアー b
- 取得総額: 3.58億ドル
- PER: 9倍程度
3億5800万ドルで買った優先株は10年後に償還が義務付けられており、9.25%の配当と、60ドルで普通株に転換できる権利が付いていた。USエアの当時の普通株の株価は35ドルで、時価総額は15億ドルだった。
USエアの1988年の収益が57億1000万ドル、純利益が1億6500万ドルだったことが分かる。
そのリスクをさらに高めていたのが、債務とは別の六四億ドルに上る解約不能のオペレーティングリースだった(年次報告書の二三ページ)。これらは、将来、機体や地上施設やその他の機材をリースするときに支払うことを約束した債務である。USエアの営業利益である四億三四〇〇万ドルと比較して、負債の金額は大きすぎる。
資本利益率は、好調な年でさえ資本コスト(8%未満)を上回ることがなかった(USエアが1988年に発行したコマーシャルペーパーの利率は9.5~9.9%だった)。このことは、USエアにそもそも構造的な利点があまりないことを示しているように見える。そして、バフェットが同じ時期に投資した質の高い会社(コカ・コーラやウェルズ・ファーゴ)が高いTCE利益率を上げているのとはかなり異なっていた
『バフェットの重要投資案件20 』
pacific southwest airlinesの合併が終わり、piedmont airlinesの統合が始まる段階。事業規模は2倍になり、発注済みベースで所有する機体も20%増えた。だが、統合コストや旧式機体の評価損を除いても営業利益の伸びが売上の伸びよりも悪かった。特に、人件費、レンタル費、着陸料、機体整備費などのコストが急増。
一方で、発着数が最も多い、ハブ空港間の強力な航空網、ハブアンドスポーク方式、顧客ロイヤルティ、新しい機体の運用メンテコストの低下、などなどの強みもあった。
『バフェットの重要投資案件20 』
湾岸戦争後の不景気で1991~1992年には競合他社の倒産ラッシュ。1994年には優先株の配当停止。ただ、配当は累積型にしてあった。1997年には一時4ドルだった株価が77ドルになり、1998年に優先株を償還。配当だけで2.5億ドルを生み出した。
1990年 ウェルズファーゴ b
- 取得価格: 一株58ドル程度
- PER:6倍程度
S&L危機に伴う不動産市場の崩壊で、多くの銀行が倒産するか多額の貸倒れ損失を出すなかでウェルズファーゴの経営の健全性を見てとり出資。18年後の2008年のころの世界金融危機でもウェルズファーゴの株を売らなかった。ただ、2016年頃に発覚した不正営業問題もあり2021年には全株式を売却。
1998年 ジェネラルリ b
- 取得総額: 220億ドル
- PER: 22程度
税抜き後純利益:1000万ドル程度、株主資本8479万ドルを考慮するとPE22倍、PBS3倍くらいか? この頃のバークシャーのPBRは3.49倍程度なので株式交換ならばそこそこの取引と思われる。
https://www.sec.gov/Archives/edgar/data/109694/0000898430-98-002915.txt
2001年の同時多発テロ事件でジェネラルリの再保険の損失12.7億ドルに絡んで赤字転落
1999年 ミッドアメリカン b
- 取得総額: 20億ドル
- 取得価格: 35.05ドル
- 取得割合: 76% (議決権は10%以下)
- PER: 17倍程度
- PBR: 3倍程度
- コミット: 今も継続保有中
当時のアメリカでは、ミッドアメリカンが影響を受ける規制機関や法律がいくつかあった。全国的には、1980年の少し前に公益事業規制政策法(PURPA)が可決し、独立系のエネルギー会社の参入が推奨され、電力会社は彼らから電気の購入を義務付けられた。この規制は価格にも及んでいた。また、州レベルでもいくつもの規制があり、たいていは国策と関連していた。例えば、アイオワ州には直接利益の規制があり、管轄区域でミッドアメリカンの普通株のROE(自己資本利益率)が年率12%を超えれば、利益の一部は顧客に還元しなければならなかった。また、普通株のROEが年率9%を下回っていなければ、値上げはできないことになって
私にとって唯一素晴らしいと思えたのは、成長率だった。一九四四~一九九八年の財務諸表を見ると、収益は一億五四〇〇万ドルから二五億ドルに増えている。同様に、純利益も同じ期間に三七〇〇万ドルから一億二七〇〇万ドルに増えて
『バフェットの重要投資案件20 』
ミッドアメリカンのCEOだったsokol氏はバークシャー社CEOとしての後継者候補だったが、Lubrizol株を巡るインサイダー疑惑で2011年に辞任。新しい後継者候補のgreg abel氏はミッドアメリカン時代にsokol氏の部下だった。
2007~2009年 BHS b
- 取得総額: 260億ドル
- PER: 15~20程度
- 取得割合: 全部取得
2008年のannual report
買収過程に関するsec資料(SCHEDULE 14A)。契約書類。
BNSFの2006年,2007年,2008年の増設や維持管理を行った線路は、それぞれ854マイル、994マイル、972マイルだった。これは、BNSFが所有する約6万マイルの線路のなかの1%強程度で、新たな増設分だけならばその何分の一かにすぎない。つまり、これは運賃収入の伸び(2007年は5%、2007年は14%)と比べれば、わずかな投資にすぎない
『バフェットの重要投資案件20 』
2011年 IBM b
- 取得総額: 107億ドル
- PER: 15倍程度
- 株数: 5.5%
2011年11月にIBM株を購入していることをcnbcのインタビューで発表。2010年のannual report。IBM株は高値圏にあったが、GEICOやBNSFも高値圏で買った。 全体的にこの章だけ読みにくい。
他にも知りたかった取引
世界金融危機での1兆円近い利益
世界金融危機時に252億ドル程度投資して、99億ドルの利益。一人だけ圧勝。SIFI規制をどのように免れているのかも興味深い。
https://www.wsj.com/articles/SB10001424052702304441404579119742104942198
Buffett Seizes Opportunities During Financial Crisis – The Rational Walk
2016年のアップル株
3000億ドル投資して、1.3兆ドルに。1000億ドル程度の利益。これだけ様々な投資で成功してきたのに、人生の最後の方に更に凄い投資。IBM投資の失敗は生かされたのか。general re傘下の投資運用会社(New England Asset Management)は2011年頃からアップル株に投資しているが、どのような意思決定だったのか。ちなみに、2016年頃にアイカーン氏はアップル株を手放したようです。
Graham & Dodd Annual Breakfast 2022
Judge Grants David Einhorn's Bid To Block Apple Proxy Vote - WSJ
1991年のアメリカン・エキスプレス株再購入
1991年頃に苦境に陥っていたアメリカン・エキスプレスに3億ドルの優先株投資(約2.6%保有、8.5%の配当)をして再びアメリカン・エキスプレス株の保有。
1994年8月の転換時のアメリカン・エキスプレスの株価は27ドル程度であり、転換価格の33~37ドルよりも大幅に下だったが、そのまま転換。その後普通株を買い増しし9.8%保有。
世界金融危機時にはTARPの枠組みを使った33.9億ドルの支援を受けるが、ゴールドマン・サックスやGEキャピタルに50億ドル、30億ドル優先株を出資したバフェット氏は特になにもせず。
2015年のコストコとの取引停止、2020年のコロナ禍 でも特に反応せず。
2003年のtob合戦
珍しくバークシャーのtob合戦となった17億ドルでのクレイトン買収(相手方は西武にも出資したサーベラス)はどのようなものだったのか。クレイトンは恐らくバークシャー傘下の子会社で一番政治的なスキャンダルの的になっているが、それでもバフェット氏は全く動揺しないのも興味深い(いわゆるサブプライム層に住宅を住宅ローン融資付きで売ってもデフォルト率が2.4%程度なのも凄い)。
2011年にバンク・オブ・アメリカ出資
Buffett's Banks - by Marc Rubinstein - Net Interest
A Timeline of Warren Buffett's Bank Stock Buys | The Motley Fool
2015年のハインツ投資
Berkshire Hathaway Reduced Kraft Position During First Quarter – The Rational Walk
2020年の商社株
1989年のKKRがRJR NabiscoをLBOするとのarbitrage
https://finance.yahoo.com/news/buffett-tobacco-stocks-rjr-nabisco-172512234.html
何故この株を売ったのか