イスラム教圏を中心とする7ヶ国からの移民/難民を米国に入国させない米国大統領令が発布された。
移民の国アメリカの理念の保持という観点から多くの反対を招いたが、同時に世論調査では半数程度の米国民の賛成がみられた。
そもそも論としてこれほどの移民や難民が発生していることが問題なのだと思う。特にシリア内戦に由来する難民の発生に対してはオバマ政権の不作為を指摘する論調があったが、米国の納税者が他国/他地域の不作為の責任を取る必要はないと思う。
国連などの国際機関が適切に機能していないこともこうした人の不本意な移動の原因だと思うので、そうした国際機関にはもう少し民主的統制が効くようにガバナンスを変えていくべきではないのか。
トランプ氏はこうした点を指摘すればある程度反対論を緩和できた気がするが、何故言わなかったのだろう。こうしたパフォーマンスのかげで本当に追求したい利益があるのだろうか。例えば、今後の三権分立の運用のなかでの行政府の優位の既成事実化とか。
いずれにせよ、司法府はこの大統領令に差し止め命令を出してそれは全米で効力を発した。結局この大統領令の効力は司法闘争にて争われることになるようだ。
http://online.wsj.com/public/resources/documents/2017_2003_robart_tro_ruling.pdf
しかし、こうした司法府の強力な権限も相当程度独裁的でもあり非民主的な印象がある。連邦最高裁まで行った場合、判事である9人がこの大統領令の効力を決定することになるが残りの3億人の国民の参政権はかなり希薄化される。特にたまたま昨年そのうちの1人が亡くなっていることがその決定過程の偶発性や政治性を高めている。国論が二分される問題が常に司法に掛けられ、行政府と司法府が異なる意見を支持するねじれは寧ろ国内を分断させるのではないだろうか。
やはり大統領令を差し止めるとしても、選挙の洗礼を受けた立法府がするべきなのではないのだろうか。そして下院議長のライアン氏が特に反対しているわけでもないのし恐らく立法府はオッケーを出しているので、この大統領令は運用するのが妥当だと思う。
まだ閉鎖はされていないが、グアンタナモ収容所を閉鎖するのも大統領令のようなので、司法府に過度の期待をするのもどうかと思う。グアンタナモ収容所に大して司法府は何らかのアクションを今までしてきたのだろうか。今回の大統領令に突然反応したことで米国司法の予測可能性の逓減というか恣意的な運用を感じたのは僕だけなのだろうか。