全球観察

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書評『セゾンの挫折と再生』

toC向けのサービスがある分野で成功したときに、何を思ってか総合toC向けのサービスになろうとするとして隘路に陥るパターンが書いてあるような本でした。

 

セゾングループは、西武百貨店で成功を納めた後に、

・スーパー(西友)

・コンビニ (ファミリーマート)

・ファッションビル(パルコ)

・PB(西友無印良品)

・独自店舗(ロフト、リブロ)

・外食(吉野家、西洋フード)

・クレジットカード(クレディセゾン)

・生命保険(セゾン生命)

・その他金融(西友の金融子会社である東京シテイファイナンス)

・宅地分譲(西洋環境開発)

・リゾート開発(西洋環境開発)

・ホテル(インターコンチネンタルホテルホテル西洋銀座)

・旅行代理店(パシフィックツアーシステムズ)

・劇場(セゾン劇場)

・美術館(セゾン美術館)

など幅広く事業を手掛けましたが、

「リゾート開発」、「その他金融」がバブルの崩壊をもろに受けるとともに「西武百貨店」「スーパー」などの小売も不振に陥りグループとして解体を余儀なくされたのでした(p104)。本書にはその解体過程がやや具体的に書いてあります。解体された理由は書いていないですが、だからこそ色々と考えるキッカケになります。

 

まず重要なのはセゾングループの有利子負債依存体質です(p103):

約3兆円程度の有利子負債があります。「その他金融(西友の金融子会社である東京シテイファイナンス)」と「リゾート開発(西洋環境開発)」だけで1兆円近い有利子負債があることも分かります。

 

東京シテイファイナンスは「法人融資」が4000億円近くあり、不良債権が3000億円近くありました。それらは主に不動産・消費者金融・パチンコ・ホテルなどであり、当時の銀行系ノンバンクそのものでした。2~4代目社長は第一勧業銀行出身でもありました。

西友連結子会社として2800億円支援し、銀行団は2000億円の債権放棄をしました(p119)。2000年4月11日に西友住友商事等に増資を依頼し、セゾングループからの脱退の一歩を歩みます。2002年11月29日に、東京シティファイナンスを1500億円程度で米国のファンドに売却 され、のちに東京スター銀行として生まれ変わります。

 

西洋環境開発は2000年7月18日に負債5538億円で特別清算申請します。債務超過額は4700億円程度だったようです。セゾングループで合わせて1400億円程度の負担があり、銀行団も3000億円程度の債権放棄を行ないました(p133):

特別清算に至る前の再生計画では75ある事業のうち69の事業が整理対象でした。これらは主にリゾート・レジャー系の事業でした(p47)。
逗子マリーナや八ヶ岳高原海ノ口自然郷などは比較的成功したのでしょうが、ゴルフ場の「uraku御殿場」や北海道のスキー場「サホロリゾート」や三重県の「タラサ志摩スパアンドリゾート」や神戸の遊園地「六甲ランドAOIA」や第三セクター広島エアポートビレッジ などは失敗してしまったようです。冷戦崩壊後の1993年にウラジオストックに「アクフェス西洋ホテル」なるホテルもオープンしています。

これらの失敗はバブル崩壊云々ではなくただただリゾート開発の失敗であったように思われます。良くわからないですが、西洋環境開発が日本のマリン文化を踏みにじったと憤りをもって指摘するブログ記事もあります。

一方で、興味深いことに住宅開発事業に関しては、1986年の売上は364億円でしたが1994年には559億円に達するなど、赤字の時期もあったとはいえ比較的良好な事業でした。例えば、オランダの都市開発に採用されていたボンエルフを導入した七ヶ浜ニュータウン汐見台  や京都の桂坂ニュータウンや北海道のしんえい四季の街兵庫県川西市の多田グリーンハイツ など良好な住宅地も多いように思います。

実際に地価の推移を見ると

七ヶ浜町の土地価格相場・公示地価・基準地価マップ・坪単価|宮城県宮城郡

桂坂ニュータウンの公示地価・基準地価・坪単価|京都府京都市西京区

などバブル期に盛り上がった後に急落したとは言え、比較的安定的な推移をしていると思います。


他には、下記のようなマンションを作っていました

西武都市開発のマンション一覧

西洋環境開発のマンション一覧

大洋不動産興業のマンション一覧

 

上記のような郊外にある良質な住宅地から新しい文化を形成していくことも可能だったと思われますが、セゾングループの郊外文化はかつてあったファミレスの「CASA」ぐらいでしょうか。1988年に創業者の生まれ故郷・滋賀に作った「長浜楽市」、西友の「ザ・モール」も上手くいきませんでした。いわゆる「セゾン文化」は郊外の生活とは全く無関係でした。

 

西武百貨店」「西友」などの小売部門も売上が減少していました。
2000年に「西武百貨店」は伊藤忠商事資本提携し、セゾングループから脱退の一歩を歩みます。その後に、西武池袋本店証券化781億円を調達します。

ただ、2002年の竹中プランもあり、銀行の不良債権処理が加速するなか、2003年に「西武百貨店」は私的整理をして「そごう」と合併した後に2005年にセブン&アイグループの傘下に入ります。

私的整理時に、銀行団及びセゾングループの支援額は4000億円にのぼりましたが、累 債務のうち2000億円ぐらいは西洋環境開発関連だとしても、残りの2000億円は百貨店自体のものでした(p145)。

個人的にびっくりしたのは、1989年に489億円の売上がありマリオン現象 を生み出した「有楽町西武」が1995年には157億円になっていたことです。新しいショッピングモールを志向した兵庫県つかしん も累積損失が10億円以上とリストラ計画の第一弾になっていました(p71)。

このようにセゾングループtoC向けサービスの根本部分である小売がダメダメになってしまった理由として、在庫・経費の管理や設備投資額の適正化を本書では挙げています(p70)。
無印良品やロフトなどセゾングループの成功例と言われる小売部門でも、グループからの独立後は大量の在庫処分・新しい商品管理システムの導入・コンセプトの見直しのようなことをしていたことが印象的でした。
西友の高級版ともいえるシェルガーデン成城石井のような輝きは無いように見えます。

これほど小売の失敗例を見ると、1973年に西友から生まれたファミリーマートが何故これほど上手く行ったのかも不思議になりました。1998年に西友から保有株式を譲渡され伊藤忠商事筆頭株主になります。
「感性経営」などと言われていましたが、1970年にはSIerセゾン情報システムズの前身となる西武情報センターを設立するなど、小売業ではかなり早い時期に本格的な情報処理システム構築をしていたと思われます。継続的な改善に課題があったのでしょうか。

西武池袋本店2021年度の百貨店売上高ランキングで3位(東京圏2位)の1540億円の売上高を誇ります。生活圏近くに全く関係の無い電鉄会社の小売業があっても足が赴かないように、セゾングループの旗艦店が「西武」を名乗って全国に出店するブランド戦略の稚拙さも感じます。なお、西武池袋本店の土地所有権の6割程度/建物所有権の1割程度は西武鉄道ですが、当時は異母兄弟の仲が悪く上手く連携できていなかったかもしれません。


脱「西武」の一手である、「パルコ」の売上も低迷していました。パルコの事実上の創業者でもある増田通二氏は1989年に会長を退任しています。

 

この本のp43-45にセゾングループの企業構造や所有構造が記載されていますが、正直良く分かりませんでした。
セゾングループが企業体として統一的な行動を取っていたのか、取る必要があったのか、そもそも事実上の解体をしていたのではないか、という気もしますがどうなのでしょう。
これだけの小売ブランドを創り出した才能にふさわしいガバナンス体制とはどのようなものなのか考えざるを得ません。

この解体過程では、(銀行団にも非がある)東京シティファイナンス西洋環境開発のどちらを先に対象とするか、西武百貨店の和田社長と創業者の堤氏の感情的対立が銀行団と西武百貨店の対立に発展しなければどうなったか、長崎屋の倒産や総会屋事件によるメインバンクの混乱などの外部環境がなければどうなったか、などいくつかの選択肢があったように見えるのも興味深いです。パルコや西武百貨店に関しては西武鉄道がもう少し関与しても良かった気もします。

あと、既に引退しており債務保証をしている訳でもない堤清二も私財を提供するなどしていますが、詳しい理由は朝日新聞に掲載されたという記事を読んでも良く分かりませんでした。

個人的には、上記の西洋環境開発不良債権処理にある「西武ピサ」という高級美術品専門店がイトマン事件の舞台であることが気になりました。toC向けと全く関係の無い東京シティファイナンスを何故事業として手掛けていたのかも良く分かりませんでした。

 

ちなみに、イオンもいろいろ手を広げていますが、セゾングループのような運命にはないようです。その違いは何なのでしょうか。

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