翻訳がやや読み辛かったですが、面白い本でした。
モーゼスもジェイコブスもどちらの議論も面白かったですが、都市計画の議論をする際にどちらが正しいかではなく、正しい議論の手続きが出来ているのか、ということが重要に感じました。
ワシントンスクエアパークを横断する道路計画、グリニッジビレッジの再開発、ロワーマンハッタン高速道路計画、を通じて二人は対決します。そしてその全てでジェイコブス氏が勝利します。
1955年のワシントンスクエアパークは、1949年の連邦住宅法の第1条で規定されているスラム問題の解決に関する予算も上手に使いながら進められることが想定されました。ただ、歴史の蓄積→有識者の反対→メディアの反対→住民活動の活発化→一部政治家の反対→選挙マターになることを恐れて市長が計画停止の決定、という流れで計画は頓挫してします。
歴史の蓄積や有識者の反対辺りが日本の道路計画反対運動との違いかなという印象でした。日本の場合は、住んでいるという事実・占有しているという事実が反対運動を形成しており、第三者から見たときにあんまり関係ないんですよね。
ワシントンスクエアパークの道路計画が失敗したことの報復?として1961年にグリニッジビレッジの再開発が行政より提起されます。ただ、グリニッジビレッジのコミュニティーが破壊されることを危惧したジェイコブス氏はワシントンスクエアパーク同様に住民による反対運動を上手に組織します。
確かに住民運動は成功しました。一方で、結局再開発をしなければ、既存住民は高騰する家賃もありこのエリアで住めなくなるというジレンマもありました。実際にモーゼス氏が作ったstuytownなどの低所得者向け団地は今でも住めるレベルの素晴らしいものにも見えます。そうした点も意識してかジェイコブス氏はwest village housesという住民による住民のための住民の団地みたいなものを作ったりします。
ロワーマンハッタン高速道路計画は日本の首都高みたいに都市内を走る高速を作ろうという計画のようです。完成予想図もカッコいい気もしますし、経済界は賛成だったようですが、1948-1972年にかけて建設されたCross Bronx Expressway が交通渋滞や地域の破壊をもたらしたことも想起されました。なお、ニュージャージー州と結ぶこともあり予算は連邦政府が90%拠出する計画で、日本の首都高のように世界銀行からの借り入れとかはしなかったようです。
歴史的建造物保存活動や市長交代もありこの計画も停止になりました。個人的にびっくりしたのは、一部着手してすでに相当数の雇用も産んでいたことでした(p259)。この辺が、既成事実を作れば、流れで計画が進行してしまう日本の都市計画との違いでしょうか。
当時はベトナム戦争の時期であり、ジェイコブス氏は反対運動にも関与していたようですが、そうした都市計画と無関係の政治的議論が影響することもほとんどなかったようです。
モーゼス氏は晩年はニューヨークの北側にある2億円ぐらいのマンションに住んでいたようです。ジェイコブス氏はロワーマンハッタン計画反対運動の最中にトロントに引っ越し晩年もそこで過ごしていたようです。ジェイコブス氏が住んでいたエリアはグリニッジビレッジとはちょっと違いますね。でもここでの生活が良いと感じていたということは、彼女が考えていたコミュニティーの良さのようなものがここにあったのだと思います。
なお、モーゼス氏が作ったstuytown団地はブラックストーンに5500億円で購入され、ジェイコブス氏のwest village housesも再開発計画があるようです。
ニューヨークはストリート名で場所を特定する街なのが良いなと思いました。google mapsだとよくわからないのでps4のthe crew2でニューヨークをドライブしてみようと思います。
それにして、たまたまこの20年後ぐらいの1987年のニューヨークの鉄道の動画見ましたが、荒廃以外の言葉が出てきませんでした。何があったのか。。。
ロバートカロの「パワーブローカー」の翻訳が無いのが残念です。
Jones Beach State Park - Wikipedia
Central Park Casino - Wikipedia
David Rose (real estate developer) - Wikipedia
James Felt, Former Chairman Of City Planning Agency, Dies - The New York Times
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