全球観察

全世界の様々なトレンドを記録していきます。

書評『西武王国 鎌倉』

この本は七里ヶ浜海岸での開発計画(新駅計画、海岸環境整備事業)のようなものに対する問題提起として始まっています。
それを説明するなかで、小さな既成事実が大規模開発につながる観点から、西武グループやその他不動産開発会社が西鎌倉や逗子ハイランドなどでどのような宅地造成を行なったのか、関連する道路計画はどのように進められたか、行政はどのような対応をとったのか、記載されています。

 

 

鎌倉の住宅地の形成に於いて西武グループが意外に重要な役割を果たしていたなど知らないことが多く面白かったです。個人的には、日本のまちづくりのバッドパターンが結構ある気がして興味深かったです。

 

本書では、下記のような6つのバッドパターンがあるかと思いました。

①自然破壊

②歴史破壊 

③企業の論理優先

④雑な人口予測

補助金ドリブンの都市計画。同じような町並み。

全体最適の無さ。グランドプランが無い。部分最適

 

①自然破壊

下記の写真を見てもよく分からなかったのですが、七里ヶ浜海岸は1960年に西武グループにより部分的に埋め立てられたそうです(今の七里ヶ浜海岸駐車場)。埋め立てには七里ヶ浜宅地造成の残土が使われたそうです。

神奈川県鎌倉市七里ガ浜東1丁目2−18


こうした埋め立てはややトリッキーな法解釈を通じて実施されたそうですが(p79)、一方でこちらの写真だと湘南道路の料金所があった場所ら辺にも見えて、もう少し色々な事情がある気もします。

 

西武グループが宅地開発をしたとされる西鎌倉や逗子ハイランドは下記のような感じです:

神奈川県鎌倉市津1321−1 (赤丸がロイヤルホスト鎌倉山店)

 


神奈川県逗子市久木8丁目13−12
(赤丸が西友逗子ハイランド店)

 

こうして見ると鎌倉の自然は相当破壊されて宅地造成されてきたのがわかります。

実際に地形分類で「人口地形」となっている箇所をしらべると鎌倉市の6~7割ぐらいでしょうか。

 

この本のメインテーマは七里ヶ浜海岸沿いでの開発計画ですが、もしかしたらそれは下記の逗子マリーナのようにするようなものだったのかもしれません。
この本では1967年にセゾングループの大洋不動産が「小坪魚港整備」と偽り埋め立て工事をしたと記載されています(残土は鎌倉霊園のものを使ったようですが、鎌倉霊園は異母弟の西武グループが開発した?)。それもあり、少しでも「~~整備」のような言葉が地域の都市計画の文脈で形成されると、警戒感を抱くようになったのでしょうか。

神奈川県逗子市小坪5丁目23−9

 

 

なお、鎌倉市の防災情報マップを見ると、七里ヶ浜の海岸沿いは「市街化調整区域」「都市計画公園(鎌倉海浜公園)」「第2種風致地区」です。出版当時も同じような指定だったようです(p8)。

 

②歴史破壊

西武グループは古くからある市道や水路を破壊して宅地造成を行ったようです(p64)。

上記の「ロイヤルホスト鎌倉山店」近くにある「猫池調整池」も埋め立てられてしまいました(p164)。「町屋池」という池も埋め立てられ高齢者福祉施設になったというような記事もありました。

また、青蓮寺・鎖大師境内を横切るような道路も作られました(p54)。戦前にも円覚寺鶴岡八幡宮の敷地を横切るように横須賀線を敷設していました。

 

 

こうした①②の動きに対して、1964年頃には「御谷騒動」のようなものが起こるなどして(p89)、トラスト運動が活発化していきます。ただ、この運動は西武グループを特定名指ししている訳でもなく、当時の不動産開発業者一般がそのようなものだったのだと思います。

1966年には古都保存法が成立し、1972年には神奈川県が相模湾を埋め立てを原則として認めない方針を発表します。七里ヶ浜だけでなく、西武グループ土地を確保していた三浦半島の小和田湾の埋め立ても難しくなりました(p112)。

トラスト運動が発展することで、2004年頃には野村不動産が台峯の宅地開発を断念したりするなど、緑地保全も進んだようです。なお、鎌倉市予算60億円でこの土地を買収したようです。この本に記載されている広町緑地も2003年頃に20億円で神奈川県が取得したようです。

③企業の論理優先

比較的やりたい放題の西武グループでしたが、鎌倉市は戦後の財政難のなか、山と谷が多い地形であり工場誘致も難しく宅地造成以外の選択肢はなかったようです(p67)。
一方で、西武グループは当時は孤立した単なる山だったエリアを将来の道路計画などを予想しながら買収し開発していきます。自治体も道路を作る際に西武グループの土地が必要になっても「土地収用法」や「道路法」を適用することなく、別の土地との等価交換などで対応しました(p87)。
買収した土地の多くは、第二次世界大戦末期に鎌倉エリアが軍事基地として重要になるとして土地を買い占めたもので(p26)、戦後の農地改革も地目を上手に変更したり法人を経由して上手く乗り切った(p33)ようです。年表を見ると、戦後も大規模な土地買収を行なっています。
なお、『堤康次郎と西武グループの形成』によると、1954年頃から西武鉄道は建売住宅分譲に参入したようです。鎌倉エリアの開発は、西武鉄道が主体なのか別の会社が主体なのか、別の会社が主体でも西武鉄道の債務保証はあったのか、宅地分譲なのか建売住宅分譲なのか、等々は良く分からなかったです。


ただ、根本的な疑問はそれが西武グループの利益になったのか、という点です。確かに分譲地は売れたのでしょうが、山万のユーカリが丘や各電鉄会社の沿線開発のように継続的収入を得るためのものではなく、売って終わりのビジネスモデルのためにここまでしていたのが逆に凄いなと感じます。鎌倉にも「西武百貨店」があったようですが、1973年に閉店しています。何故か所沢の西武鉄道ビルを拠点とする西武学園が運営する5つの幼稚園のうち4つは鎌倉エリアにあります。教育を宅地開発の戦略につなげるのは国立や大泉学園などを想起させます。

 

他の地域ですが、当時の沿線開発はこんな雰囲気だったようです

 

戦前までは借家文化だったと思うのですが、大規模な借地街を作るとかしなかったのでしょうか。もし売るにしても住宅ローンの貸し出しも手掛けるなどしても良い気もします。西武リアリティーソリューションズの事例を見てもやはり宅地分譲だけを幅広く全国で展開していたようです。
西武が鉄道網を有していた所沢エリアなどでこのエネルギーを注がなかった理由も良く分かりません。そもそも堤家の主要人物は西武沿線にほとんど住んだことがないのでは、という気もします。

 

西武グループが宅地開発した西鎌倉や七里ヶ浜エリアへの当時の主な交通手段としては、京急電鉄の日本初の有料道路・日本初の自動車専用道路である京浜急行有料道路があったと思うのですが(料金所 はこんな感じだったそうです)、そうした交通網への関心があまり無いようにも感じました。
これらのエリアへのバスの乗り入れは1964年頃のようですが、それは江ノ電バス京急バスでした。その後、この道路の上に湘南モノレールが通る計画が出たとき、京急電鉄は資本参加しますが、西武グループの立場は良く分かりません。

 

この道路の1984年の公道化に際して、京急電鉄を側面支援する形で、西武グループも援助するなどしています(p134)。西武と京急との株式持ち合いもこの頃からなのでしょうか。

なお、鎌倉市の財政力指数は1.09(令和2年度)で地方交付税の不交付団体です。

 

⑤雑な人口予測

自治体の人口予測も雑で、増加する人口をもとに先回りして学校用地を購入しておくことはなかったようです。鎌倉市七里ヶ浜小学校の用地を神奈川県は七里ヶ浜高校の用地を1974年頃に西武グループから購入しています(p138)。

1976年に鎌倉市学校建設公社が設置されますが、その頃から人口増加に陰りが見えます。そして2008年に解散しています。

とはいえ、必ずしも鎌倉市は廃校が多いエリアではないようです。

神奈川県小学校の廃校一覧 - Wikipedia

 

補助金ドリブンの都市計画。同じような町並み。

この本のメインテーマである七里ヶ浜海岸沿いでの開発計画は国土交通省海岸環境整備事業 として補助金交付される可能性がありました(p174)。関係町内会と漁業関係者以外への説明はあまりなされなかったようです。

本書の出版後には 七里ヶ浜擁壁と国道134号線の拡幅工事 などがありましたが、新駅計画は今のところは結実していないようです。

なお、西武グループがこの海岸沿いのリゾート開発に興味を持っていたのは、異母兄弟のセゾングループが近くで逗子マリーナ・葉山マリーナ・シーボニアなどを運営していたからかなとか思ったりしました。

全体最適の無さ。グランドプランが無い。部分最適

今、住宅地としての鎌倉エリアを見ても、どちらかと言えば素晴らしい場所に見えます。

また、主に西武グループが開発したと思われる鎌倉山や逗子ハイランドなどは「かながわのまちなみ100選」にも選ばれています。 

 

ただ、ハザードマップを見ると自然災害に被災する可能性がかなりあり、当時の宅地開発への評価が一気に下がる可能性もあります。逗子マンション斜面崩壊事件 の遠因も当時の宅地開発にあるかもしれません。

 

国交省に指定されるような危険な交差点は無いとは言え、慢性的な交通渋滞も多いと思います。

ところどころ中途半端な景観 もあります。

この本の後半に出てくる「広町緑地」の大部分が市街地区域なのは気になります。ただ、素晴らしい住民活動によってこの48ヘクタールの緑地は守られました。

「棟方版画美術館跡(神奈川県鎌倉市鎌倉山2丁目19−17)」などがある付近の鎌倉山2丁目の住宅街は「市街化調整区域」なのが不思議です。
上述の予算60億円で購入した台峯緑地は「鎌倉中央公園」となっていますが、こちらも市街化区域で「第1種低層住居専⽤」です。ただ、都市計画公園の決定がされています。

こうした用途地域の決め方にはなんとも曖昧な感じもします。

 

空き家の状況 としては42190戸の戸建住宅のうち多くて1000戸程度と3%程度の空き家率は必ずしも高くはないと思いますが、実際に生活している感覚は違うのかも知れません。

自主まちづくり計画 も多く鎌倉の魅力を維持していこうという意識が強いのかと思います。

そういう意味で、有していた自然や歴史を踏まえると、当時の宅地開発は少しもったいないかなと感じざるはをえないです。世界遺産登録は見送り勧告 でした。

西鎌倉地価逗子市久木地価を見てもバブル前の水準をずっと維持しているようです。

 

こちらの年表も参考になりました:

http://web2.nazca.co.jp/dfg236rt/page054.html

 

www.townnews.co.jp

www.townnews.co.jp

www.seibu-gakuen.ed.jp