全球観察

全世界の様々なトレンドを記録していきます。

日本版『PLAYBOY』を作るべき

まずピーター・フランクルの『ピーター流外国語習得術』を引用しよう。

二人は悲しい顔をして出かけました。でも、帰ってきたときにはなんと『プレイボーイ』を六冊も持ってきてくれました。うれしくてうれしくて、真ん中にある見開く三ページぐらいの大きさの裸の女性を六枚全部取り出して、天井に貼り付けて、毎朝「いいなーあ」とながめていました。

『プレイボーイ』には写真以外にも、二五〇ページくらい記事がありました。僕にとっては、こんなにすばらしい写真が乗っている雑誌は、まさに自由世界アメリカからぼくへのメッセージでした。だから、その記事を読もうと必死になりました。 

自由世界アメリカ。アメリカのポルノ雑誌『PLAYBOY』がそうしたイメージに貢献していたこと、同時にアメリカの意見や価値観を普及する役割も果たしていたことが上記の引用から窺える。この記述の後、自分は『PLAYBOY』のジョークや記事を理解するためにいかに勉強したかというような記述が続くのだが、ポルノは寧ろ入り口でその他の数百ページのお堅い内容を見せるための円滑材であるのかもしれない、との印象を受ける。

 

日本社会は、他社会に自分たちの意見や価値観を伝える技術力に乏しく、実際に国際的なメディアは一つもない。誰もNHK WORLDなど見ないし、東証で跋扈する外国人投資家がどれほどnikkeiを読んでいるのか。外務省の"cool japan"キャンペーンもオタク文化などの普及には貢献したのかもしれないが、日本社会はそうしたオタク社会的イメージを世界に流布したいのだろうか。いずれにせよ、各国の大使館のホームページは絶望的に"cool"ではない。

 

観光大国フランスのようにツールドフランスでさりげなく美しい田園風景を全世界に流してもよいし、中国のCCTVのようにネット上で数言語でニュースを配信したり全世界のケーブルテレビに価格戦略で浸透しても良いと思う。

いずれにせよ、日本を代表する世界的なメディアがないことが日本社会の意見が外国に伝わりづらく、伝えられても歪曲化され伝われたり、日本に対する奇怪な記事や社説が未だに外国の主流紙に堂々と載ったりする原因の一つなのではないだろうか。少なくとも日本の文化や美意識はもっと世界のモードになるべきだと思う。数年前芥川がpenguin社から初めて英訳されたが、そのことを英語圏のひとたちは自分たちの異文化への寛容性と捉えるのではなく、寧ろ何故芥川クラスを今まで知らなかったのか、と問いて欲しい。

 

それ故に、日本が誇るべきポルノ文化?で日本版『PLAYBOY』を作り、全世界に流通させるべきだと思う。ポルノというキャッチーな入り口から漫画・アニメ・テレビ番組・スポーツ・ファッション・建築・テクノロジーや日本文学・日本思想・日本社会などの特集もあるような雑誌があったら相当面白いのではないか。恐らく、日本のコンテンツ力を考えれば十分に全世界で数百万人の定期購読者が付くと思う。

あとは編集者のセンスと流通力だろう。

ポルノといっても日本のポルノ文化は相当奥深いので良く分からないが伝説的ポルノ雑誌『奇譚クラブ』の編集者のように誰かセンスの良い人がきっと現代日本にはたくさんいるのだろう。

流通力に関しては、各国により事情も異なるうえ、小売り・卸・運送・広告・スポンサー集めと多岐に渡る。ポルノが敏感な話題である地域もあるので、そうした地域での政治的配慮も重要だ。もしかしたら公式には流通させられないかもしれないが、逆にそのアンダーグラウンド性が寧ろポルノ雑誌の魅力を高めることなど日本男子なら「いろはのい」なのではないか?

 

そういう意味で案外ALL JAPANなプロジェクトになりそうだ。日本の文系力を世界に見せつけるときがやってきた。

 

 

ピーター流外国語習得術 (岩波ジュニア新書)

ピーター流外国語習得術 (岩波ジュニア新書)

 

 

Playboy International [US] January - February 2014 (単号)

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『奇譚クラブ』から『裏窓』へ (出版人に聞く)

『奇譚クラブ』から『裏窓』へ (出版人に聞く)

 

 

家畜人ヤプー〈第1巻〉 (幻冬舎アウトロー文庫)

家畜人ヤプー〈第1巻〉 (幻冬舎アウトロー文庫)

 

 

Chromebookのメモ

Googleの提供する"Chrome OS"を使ったChromebookがデスクトップ環境を変えそうだ。特に、新興国や法人向けデスクトップ環境が大きく変わる可能性がある。そのようなことを今月13日に次の記事を見て思った。

Chrome OSでWindowsアプリ実行が可能に〜米Googleと米VMwareが提携 

この記事で言われている"VMwareのBlast HTML5テクノロジー"というものがイマイチ良く分からなかったのだが、要は仮想環境をHTML内で実現出来るものらしい。クライアントのホストOSの条件や使用APIはどのようなものなのかを調査中だが、大抵のlinux系OSで使えるならばChrome OSの競合優位性にはならないかもしれない。

ただ、22日にmicrosoftwindows8のライセンス料を70%カットするというニュースを見て、250ドル以下のwindows端末に限定する試みであるにせよ(主にタブレット?)、起動の早さやGoogleのサービスとの連携以上のChromebookの破壊力を感じた。以下に希望観測も含めて可能性をまとめてみよう。

 

価格破壊

Chromebookの価格は破壊的だ。amazon.comで見てもネットブックが200ドル前後だ。windows8搭載ネットブックでも安くて300~500ドルぐらいなので、価格面の訴求力は高そうだ。もしユーザーの利用シーンでインターネットが大部分ならばChromebookで充分であるし、実際に米調査会社NPDによると2013年に米国で売れたノートパソコンの21%はChromebookであるという。

この価格帯は新興国の人々にとってもPCを購入する機会を提供するのだろう。ただ、インターネットの利用を前提とするのでインターネット回線が遅い地域での普及がどれほど進むのだろうか。

また、法人顧客にとっても簡単な作業やWeb上での作業のためのPC用という用途の場合にVDI等で様々なソリューションが出てくるのではないだろうか。

 

バックアップ

バックアップは基本的にGoogle Driveを使うようだ。ただ、現Google会長のエリック・シュミットがSunMicrosystems出身であることから"zfs"のような柔軟なバックアップを実装してくれないか興味がある。dankogai氏のエッセイでmacに何故"zfs"が実装されなかったのか、もし実装されていたらどうなったか、というようなことが書いてあった。MacのTimeMachine機能などがファイル単位でもっと細かくバックアップできるなど多くの利点がありそうだ。もしChrome OSにそのようなファイルシステムが実装されたならば価格以上の訴求性を持つだろう。ただ次の公式ドキュメントを見る限り今のところはなさそうだ。 http://www.chromium.org/chromium-os/chromiumos-design-docs/filesystem-autoupdate

 

Chrome OS

Chrome OSで動くアプリケーションを基本的にhtmlで書けるようだ。

昨日、Firefox OSを搭載した25ドルのスマートフォンが発表されたが(http://eetimes.jp/ee/articles/1402/26/news059.html)、その25ドルという低価格もそうだが、HTMLでアプリケーションが作れるというメリットも重要だろう。ゲームなどでの大量の処理を必要としない限りネイティブで作る必要は実際にほとんどなく、開発のし易さやHTMLの可能性を考えると開発者のエコシステムが容易に大規模に形成されるのではないだろうか。結果として、豊富なアプリケーション群を持つ魅力的なプラットフォームとして、新興国などでデファクトスタンダードを握ってしまうのではないか。

ところで、Firefox OS用のアプリケーションはChrome OSに移植するにはどうすれば良いのだろうか?

 

Chrome OSのビジョンについてはこのビデオがとても分かりやすい。

http://www.youtube.com/watch?v=0QRO3gKj3qw

 

 

井上章一『パンツが見える』書評

私達の羞恥心が時代によって異なっていたこと、人々の価値観が移ろいやすく絶対的でないこと、そのようなことをこの本は示している。

現代の感覚とは相当異なるが、昭和初期までは日本の女性はパンツを履いておらず、また履きたがっていなかった。同時に恥部が見えてしまうことは、そこまで恥ずかしいと感じていなかった。そこからパンツを履くに至るまで、更にはパンツが見られることが恥ずかしいという感覚になるまでを資料を用いながら説得的に説明している。

 

①パンツを履かない 〜昭和初期

和装がまだ一般的であった時代にパンツを履くことは一般的でなかった。その理由は2つあり、恥部が見えてしまうことが羞恥の対象でなかったことと当時のパンツが履きにくかったということだ。

 

②パンツを履く 昭和初期〜

 パンツを履く文化は「貞操」を守るという観点や洋装の流行によるパンツを履くという流儀から少し普及した。ちなみに、洋装の普及には戦時下のもんぺに依るところもあるようだ。この頃、ワコールなどの下着会社が生まれた。

また、パンツは性的サービスを提供する女性たちに一種の性的サービスとして履かれるようになった。例えば、この頃からパンツをチラリと見せたりする店があったようだが、パンツがあったから「パンチラ喫茶」があったというよりは「パンチラ喫茶」があったからパンツを履くようになった、という可能性もあるように思えた。

こうした性風俗産業の女性のスタイルが社会一般の女性のスタイルに影響を与えた流れをこの本では重視している。女性がいつからか「女性」化への心理に駆られ始め、その際のモデルとしてそうした産業で働く女性の姿があったのだろう。 

そうしたパンツはどこで売っていたのだろうか?普及初期段階では小さな洋装店などにしかなかったようだが、1950年代になると百貨店で「下着ショー」が開催されたり売り場面積も増えるなどした。やはりこの当時は文化の発信地は百貨店だったのだろう。(鹿島茂『デパートを発明した夫婦』書評 - 全球観察)

そうしたパンツも、普及初期段階では単なる布や浴衣の切れ端であったりしたが、徐々に形も細工されるようになり色とりどりになってきた。

 

③パンツが羞恥の対象 1970年~

パンチラといえばマリリン・モンローの『七年目の浮気』(1955年)が有名であり、そうした男性視点の存在を知ったことが羞恥心を形成したように考える論者もいるがこの本ではそうした影響を限定的に捉える。

寧ろ重要視するのは、女性自身の自己愛である

例えば、1972年に発表された田辺聖子の『風穴』にはパンツでなくスリップであるが、以下のような言葉がある

「黒のスリップを着けて鏡にうつしてみる。これは買っただけで、まだ着ていない。煽情的な気がして、着ているだけで、マリリン・モンローみたいな気分になる」

もしくは1959年の『婦人公論』8月臨時号にある次のような記述である。

「美しい曲線を作り出すブラジャーにヴィナスの女性美を夢み、ヒラヒラとゆれるレースの沢山ついたスリップにシンデレラのロマンティズムを、七色のパンティにそこはかとなきオイロケをたくす。また、上着よりも下着にこるという粋なぜいたくを想い、ただ一人月光の下で美しい下着にナルシズムを満足させる」

こうした表現から女性たちが「女性」的であろうとする心性をいつからか持ち始め、そうした「女性」性の代表であるような娼婦たちであるような幻想に浸るようになった。パンツを見られることは、そうした幻想に浸っている「自己」を見られることであり恥ずかしいと思う気持ち「羞恥心」が生まれた。

男性が知っている女性用ブランドの数は限られており、更に女性にブランドを指定する人は相当少ないのでは、と思うので女性が下着を買う心理とは男性視点ではなく女性視点もしくは自己愛という側面は相当程度あるのだろう。パンツのブランドがどのように確立されたのか、どのような広告を打ちどのような心理に訴えかけていたのか、そうした点を見ることでパンツが羞恥の対象となる過程をより綿密に検証できるのではないか、と思った。

 

この本では様々な興味深い疑問が生まれたので幾つかメモしておこう。

  1. 植民地であった台湾・韓国では「パンツ」や「羞恥心」はどのような歴史をたどったのか?
  2. 男性がふんどしからパンツを履くようになったきっかけは女性視点の存在なのであろうか?
  3. 男性はふんどしを履いていたので、間違えて恥部が見えたときに羞恥心を感じていたのだろうか?ふんどしにも現代の男性用下着の用に多様な種類・ブランドがあったのだろうか?
  4. そもそも昭和初期以前の社会に「羞恥心」がどれほどあったのか?「自己愛」と「羞恥心」が裏表の関係ならば、「自己」が確立していなかった時代に「羞恥心」もあまりなかったのではないか?「羞恥心」の発展、は「私有財産制」を基礎とする「資本主義経済」の発展とは関係あるだろうか?
  5. パンツを履くことは近代化指標として取り入れることが出来るだろうか?例えば、エマニュエル・トッドの『帝国以後』では社会の識字率出生率が大きく変動する時にその社会内で大変動が起こると述べている。近年増加している「テロ行為」はそうした地域での識字率上昇・出生率低下というトレンドの必然的過程であり、時間とともに解決する問題であるとしている。そうした「テロ行為」を働く人達はパンツを履いているのか?もし先祖の文化体系に「パンツ」が存在しないならば、パンツを履くという行為は近代的心性を表現しているのではないか?そうした地域のニュースは複雑で何が起こっているのか分からなくなるが、「パンツ」の有無で社会や政治の方向性が見えるのならば誰かが研究するべきだろう。

もしあなたが投資家で新興国の経済発展を重要視しているならば、表面に見えるデータだけでなく「パンツ」もしっかり見たほうが良いかもしれない。

 

パンツが見える。―羞恥心の現代史 (朝日選書)

パンツが見える。―羞恥心の現代史 (朝日選書)

 

 

帝国以後 〔アメリカ・システムの崩壊〕

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