全球観察

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高木徹『戦争広告代理人』書評

確かに奇妙なことだった。1992年から1995年まで続いた「ボスニア内戦」は内戦であるのにセルビア系住民だけが国際社会から避難を浴びていたのだ。「民族浄化」的戦争行為は他民族の住民達もしていたのにセルビア系住民だけがしていたことになっていたのだ。「強制収容所」も他民族も作っていたし難民収容所的性質でもあったがセルビア系住民だけが非難の対象になっていたのだ。何故当時の「ボスニア内戦」の報道は一方的であったのだろうか。

また、世界の99%の人が知らなく全く利害関係が無いボスニアという地域で起きた紛争が何故それほど「国際化」し私達を巻き込んでいたのかだろうか。実際にこの紛争に介入したことによりNATOや西側諸国の住民はどのような利益を得たのだろうか。

近年の大量破壊兵器開発疑惑で始まった「イラク戦争」なども同じような違和感があるかもしれない。もしくは軍事費を毎年10%以上増大させている国の主張である、日本が「軍国化」しているという主張が国際的に受け入れられていることも奇妙だ(例: Japan’s provocative moves - The Washington Post)

そう、それを可能にしているのが「戦争広告代理店」であるPR会社なのだ。 

 

この本ではそうした国際社会の奇妙な世論がどのように作られたかをボスニア内戦の事例で説明している。この本は一つの重要な対比、PR会社を適切に使ったボスニア・ヘルツェゴヴィナ政府とPR会社を使わなかったセルビア政府・ユーゴスラビア政府の対比として読むことが出来る。

ある小国が自分たちに情勢が有利になるように世界を巻き込むこと。

 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ政府は、ボスニアに戦火及べば、その紛争を「国際化」すること、つまり可能な限り、他の国々、できれば力のある西側先進国を主体とした国際社会をこの紛争に巻き込み、見方につけることによってセルビア人たちの軍事力に対抗する、という方針をあらかじめ決定していたのである。

そうしたことは本来ならば不可能であるはずだ。実際に外交票はどの民主主義国の選挙でもなかなか獲得できないし、大体私達は皆忙しいのだ。自分たちの問題は自分たちで処理して欲しい。

実際に当時の国連事務総長のブドロス・ガリは以下のように述べている。

「世界にはサラエボより、もっと苦しい状態にある場所が十カ所はある。(ボスニア紛争は)初戦は金持ち同士が戦っている紛争だ」

つまり、地域の紛争など世界にはありふれているのだ。ありふれた紛争のなかから貴重な国家予算を使い介入されるケースは特別中の特別なのだ。現に近年のシリアやスーダンの紛争には国際社会は、部外者としての適切な距離から関与しようとしている。

そしてその紛争の実態も当時の国務省のタトワイラー報道官が以下のように紛争後に語っているように、当時の西側諸国の一方的な報道は相当現実と乖離していた。

ボスニア紛争の本質は(セルビア人勢力が一方的にボスニア・ヘルツェゴヴィナを侵略していたのではなく)一つの国の中でおきた内戦だったのです」

この不可能を可能にするPR会社は実際に何をするのだろうか?

①論理を作る 民主主義的プロセスにより成立したボスニア・ヘルツェゴヴィナ政府は、ユーゴスラビアから独立したいのだが一部のセルビア系住民が軍事的暴力手段を使い独立を阻止しているという論理を作った。

②キャッチコピーを作る ①の論理を分かりやすくするため「民族浄化(ethnic cleansing) 」という言葉を英語圏で創出し、ヨーロッパ人のナチスのイメージを巧みに示唆しつつ、国務省ホワイトハウス・大統領選で使われるまで普及させた。また、その言葉がセルビア系住民の迫害というイメージという文脈で使われるようにした。ボスニア内の他の民族も「民族浄化」的行為を働いていたという事実が関連付けられないようにした。

③記者の取材環境を整える 記者が取材をし記事を書き編集部とやりとりをするという過程に対してありとあらゆる便宜を取るための地道な活動をした。例えば「ボスニアファックス通信」というメデイア向け配信システム(FAX)を作り事実関係を適切に発信するとともに、記者会見などの発表も「○○原則」を発表するようにするなど記事にし易い環境を整えた。更には、記者クラブの温度や編集部と通信するための設備等も工夫した。結果として、セルビア系住民が作った「強制収容所」に関する記事が出るなどボスニア政府に取り有利な状況を作った。この記事も編集部が「ボスニアファックス通信」を読んでいたことでスムーズに内容が理解されて発表し易い条件を整えていた。

④テレビや会見などでの印象を良くする

⑤政府要人との非公式・公式の接触の機会を作る

⑥対立相手の論理を社会的に潰す ボスニア地域で国連軍の指揮を取っていたカナダの軍人が故郷に帰り「強制収容所」の存在を否定したりするなどしたら、カナダ政府にこの軍人の言動が矛盾している趣旨の具体的手紙を送り、更にはこの軍人の講演会にセルビア系団体から資金援助が出ていたことを突き止め、この軍人の社会的意見を抹殺した。

他にも非公式な活動を含めいろいろとしているのだろうが、以上のような活動は事実を適切に発信するという軸からは外れていないと思う。だが、結果を見ると、そうした事実の発信だけで国際世論は動いていないようだ。またそうした非合理的な国際世論により行動してしまったからか、今から見るとボスニアの将来の選択肢は多岐に渡っていたが、そのうちの最善の選択肢を取ったというわけでは無いように思う。 

 

ところで、日本政府の宣伝戦はどのように評価するべきだろうか。この全球観察でも以前、日中の宣伝戦を批評したことがあったが( BBCで日中の宣伝戦を見た - 全球観察)、読後感としても意外にも日本政府は善戦しているように思った。確かに、日本大使の英語力はびっくりするほど下手でテレビ的印象も悪いが、英国のインタビュアーは日中間の細かい事実関係を基に質問をしており日本政府などが適切にPRをしていたのではないかと思った。中国側は確かにテレビ映りも良く英語も上手だったが、政治スローガン的な印象や事実関係の曖昧な認識も感じざるを得なかった。細かい事実関係を適切に記者や視聴者に適切に提供していくことや中国共産党の「宣伝性」を上手に宣伝することで日本政府は自分たちにより有利な土俵で戦えるのではないか、と思った。

ただそうした希望観測はBBCの一部の知的視聴者のみだけに通じるものなのかもしれない。この本でも展開されていたように論理性よりもイメージの力学が国際世論では相当作用するのかもしれないとも思う。ただ敢えてこの本から教訓を一つ感じるならば、事実を適切に提供していくこと、そこに尽きると思う。例えば、1941年12月8日に当時の日本政府が臨時の記者会見を行ない戦争の大義を訴えていたら、今に至るまでの国際世論は相当異なっていたであろう。もしくはそうした国際的な観点からの戦争の大義が無ければ政策が実行されないような環境があれば、国益を損なう戦争が防げたか戦争の泥沼化に一定の歯止めが効いた気がする。

そのような意味でわたくしたちが経験している国際世論の脆弱性所与のものとして「宣伝戦」を戦う体制を整える以上に、問題を「政治化」するプロセスをよりオープンに公平にしていく仕組みがこれからの世界には必要なのではないだろうか。

 ところであなたは何故日本政府が1941年12月8日に戦争を開始したか明確に答えられるだろうか?

 

ドキュメント 戦争広告代理店 (講談社文庫)

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ボスニア内戦 [国際社会と現代史] (国際社会と現代史)

ボスニア内戦 [国際社会と現代史] (国際社会と現代史)

 

 

「独裁者」との交渉術 (集英社新書 525A)

「独裁者」との交渉術 (集英社新書 525A)

 

 

『神待ち少女』という本を読んだ。

『神待ち少女』という本を読んだ。

著者の黒羽氏 によると近年、泊まれる場所や食事を肉体的な報酬なし=無償で提供してくれる人を待っている少女達がいるそうだ。そうした背景には両親などからもらえなかった「無償の愛」や「終わらない日常」へのスリルを求める心理があるのだという。

 

ただそうしたスタイルは発見されてなかっただけで、今までもあったのかもしれない。そういう意味でこの本はそのような少女たちの物理的な時代的な出現条件をより明確に考察した方がより時代的価値があったかもしれない。インターネットやデバイスの発達もあまり関係なさそうで、与える側の男性の心理にも変化はなさそうだ。ただ、家出少女たちの心理や援助交際も変容していて、それらは同時に家族や女性の自己愛や男性の現代的姿を反映しているのかもしれない、と思った。

 

インタビューの形式や出典などはもう少し客観性があった方が信憑性があった。ただ、「神待ち少女」たち・他の同年代の少女たち・「神待ち少女」たちの両親・「神待ち少女」たちに与える男性たちなど多面的に現象を捉えようとしているのでページをめくる手はなかなか止まらなかった。

 

いずれにせよ、こうした少女たちのストーリーは、今私が生きている日本社会を少しリアルに描いてくれた。

 

神待ち少女

神待ち少女

 

 

鹿島茂『デパートを発明した夫婦』書評

鹿島茂著『デパートを発明した主婦』では、19世紀に誕生した「デパート」が資本主義社会の成立にどのように貢献したかを示している。

「デパート」は圧倒的な品揃えと生活スタイルの提供で「消費者」を創出したのみならず、そうした商品を管理するための生産・流通・広告の組織化を進め、更に従業員自身の教育などで階級意識の改造を進めつつ聖職・軍人・官僚以外の出生街道を提供したことにより「サラリーマン」という階級も創出したのだった。

「デパート」は今までに存在していなかったような組織も作った。面白いことに、それらは従業員への福利厚生や制度など多岐に渡るが、まるでいわゆる長期的価値を重視する「日本的経営」に似ていたことだ。外国語教育・教養講座・社内部活動・社員食堂・独身寮・定期昇給・退職金制度・養老年金制度などだ。そのことにより、大量の「中産階級」が創出され、同時に彼らこそが年金制度や会社内貯金を通じて会社の資本家となっていたのだ。「中産階級による、中産階級のための、中産階級の組織」であるデパートは、資本提供者により描画されても良いかもしれない。ロスチャイルドなどの旧来の銀行家でなく、中産階級の大量の貯金でなければ彼らの新しい長期的経営も不可能だったのだろう。

当時公共トイレが少なかったので、女子トイレを「デパート」内に設けたくさんの人が流入するようにした、とのエピソードも興味深かった。壮大な建築物や絢爛豪華な商品などだけでなく、「トイレ」の設備のようなところからも商売の可能性を追求しようとする姿勢やメンタリティーには凄みのようなものを感じてしまった。それがいわゆる今までに存在していなかった「資本主義の精神」なのだろうか。

 

日本社会でも「デパート」は「消費者」を創出する装置として「サラリーマン」を創出する装置として「中産階級」を創出する装置としても社会的な役割を果たしてきたことは論を待たないだろう。しかし、西武百貨店が1982年に「おいしい生活」を提案してから逆説的にデパートは文化的な中心地ではなくなった。それは消費欲望が社会から消失したことを意味しない。私も欲しいものがたくさんある。それらは全てデパートではなく、クオリティの高い小さな店で買うまでのことだ。

「デパート」以前にも存在していたような小さなお店で商品を買うようになるのならば、私達は19世紀以前に戻るのだろうか。しかし、「デパート」以前と以後では何かが決定的に違うように思う。管理された欲望、のようなものの存在だ。そこに「デパート」の歴史的意義があるのだろう。

 

デパートを発明した夫婦 (講談社現代新書)

デパートを発明した夫婦 (講談社現代新書)