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鹿島茂『デパートを発明した夫婦』書評

鹿島茂著『デパートを発明した主婦』では、19世紀に誕生した「デパート」が資本主義社会の成立にどのように貢献したかを示している。

「デパート」は圧倒的な品揃えと生活スタイルの提供で「消費者」を創出したのみならず、そうした商品を管理するための生産・流通・広告の組織化を進め、更に従業員自身の教育などで階級意識の改造を進めつつ聖職・軍人・官僚以外の出生街道を提供したことにより「サラリーマン」という階級も創出したのだった。

「デパート」は今までに存在していなかったような組織も作った。面白いことに、それらは従業員への福利厚生や制度など多岐に渡るが、まるでいわゆる長期的価値を重視する「日本的経営」に似ていたことだ。外国語教育・教養講座・社内部活動・社員食堂・独身寮・定期昇給・退職金制度・養老年金制度などだ。そのことにより、大量の「中産階級」が創出され、同時に彼らこそが年金制度や会社内貯金を通じて会社の資本家となっていたのだ。「中産階級による、中産階級のための、中産階級の組織」であるデパートは、資本提供者により描画されても良いかもしれない。ロスチャイルドなどの旧来の銀行家でなく、中産階級の大量の貯金でなければ彼らの新しい長期的経営も不可能だったのだろう。

当時公共トイレが少なかったので、女子トイレを「デパート」内に設けたくさんの人が流入するようにした、とのエピソードも興味深かった。壮大な建築物や絢爛豪華な商品などだけでなく、「トイレ」の設備のようなところからも商売の可能性を追求しようとする姿勢やメンタリティーには凄みのようなものを感じてしまった。それがいわゆる今までに存在していなかった「資本主義の精神」なのだろうか。

 

日本社会でも「デパート」は「消費者」を創出する装置として「サラリーマン」を創出する装置として「中産階級」を創出する装置としても社会的な役割を果たしてきたことは論を待たないだろう。しかし、西武百貨店が1982年に「おいしい生活」を提案してから逆説的にデパートは文化的な中心地ではなくなった。それは消費欲望が社会から消失したことを意味しない。私も欲しいものがたくさんある。それらは全てデパートではなく、クオリティの高い小さな店で買うまでのことだ。

「デパート」以前にも存在していたような小さなお店で商品を買うようになるのならば、私達は19世紀以前に戻るのだろうか。しかし、「デパート」以前と以後では何かが決定的に違うように思う。管理された欲望、のようなものの存在だ。そこに「デパート」の歴史的意義があるのだろう。

 

デパートを発明した夫婦 (講談社現代新書)

デパートを発明した夫婦 (講談社現代新書)