全球観察

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書評『わが記憶、わが記録 - 堤清二×辻井喬オーラルヒストリー』

面白い本でした。群馬の赤城自然公園ができる経緯(p152)が特に印象的でした。一方で、つかしんに関するところは何を言っているのか正直良くわかりませんでした(p214)。

経営者のメンタル維持も簡単なことではない、とつくづく思いました。

 

以下メモ帳です:

堤康次郎の百貨店経営への興味の無さ。鉄道経営、沿線開発よりも各地の不動産開発? 阪急の小林一三との違いとは?

・戦時中に、麻布の自宅敷地内が大東亜迎賓館になった。食糧事情は他の家よりも良かったはずだが、栄養失調になる。生活実感はキツかった。

・当時の池袋は場末的だった(p59)

・新興百貨店として、呉服ではなく洋服で攻めようと考えた(p78)。フランスで様々なブランドと契約。

・1964年に堤康次郎氏が亡くなった後に、銀行からお金を借りて西武百貨店株を西武鉄道から取得(p84)。約10~15%程度ほどの株主(p158)?

コーポレートファイナンスは厳禁であったが、何故か西友が行なっていた(p103)。
・当時は独禁法上の観点から、持ち株会社が禁止だった。セゾングループ内で指揮系統が混乱した。「統一参謀本部」を作れなかった(p144)

・渋谷への西武百貨店への出店は偶然。新宿でも良かった。たまたま土地情報を入手。百貨店法上の懸念であった東急の反対も説得できた(p119)

・日本の場合、小売の地域格差が細かく多様(p218)。大量仕入れでのコストカットへの疑問。アメリカのシアーズのPBを見て、商品開発をすることでのコストカットに興味を持った(p218)。
・イトヨーカドーに行ったら、フェンシングだけでなく欠品補充や「死に筋」発見メカニズムなどを見ている。本当は裏の倉庫を見たい(p234)。

・コンビニの価値を見抜けなかった。スーパーで十分だと思っていた。立地戦略や酒屋戦略を考えるともっと早く展開するべきだった(p229)。

・子供への視点。「桂坂は、道路で子どもたちが遊べるのです」(p155)
・自分たちが作ったマンションには住みたくない(p151)

・前衛アートは都市では難しい。「都市はどうも猥雑で、すべてのものを消費する対象としてしかとらえていない」「だから思うように消費できない、飲み込むと消化不良を起こすようなものは駄目なのですね」(p247)

・1982年に西武池袋本店の百貨店売上日本一になる。この頃から小売業に興味が無くなる(p213,p216,p229)。日本のマーケットも変質したと認識。まちづくりやホテル・レジャーへの移行を模索(p147)。銀行を説得できなかった。インターコンチネンタルホテルの売却を強いられた。
・「まちづくり」というよりは「コミュニティー」づくりへの関心?
・政治家、経営者、芸術家、総会屋、左翼等々の幅広い交友関係。

 

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